「定年」は最高裁で認められていた
ちなみに「定年制」は最高裁の判例でも認められていた。ある事件の判決の中で次のように認定している。
およそ停(定)年制は、一般に、老年労働者にあつては当該業種又は職種に要求される労働の適格性が逓減するにかかわらず、給与が却つて逓増するところから、人事の刷新・経営の改善等、企業の組織および運営の適正化のために行なわれるものであつて、一般的にいつて、不合理な制度ということはできず、……。
(「就業規則の改正無効確認請求」最高裁判所大法廷 昭和43年12月25日)
短い文章の中に2回も「一般」が出てくる。「一般に」歳をとると、給与ばかりが上がり、その割に「適格性」が減るので、「一般的に」不合理な制度とはいえない、と。
個々の能力を無視し、年齢という一般的基準で裁いているわけで、最高裁自体が年齢差別を推奨しているのである。
養老律令の時代からあった
ところで、定年制はいつ頃からあるのだろうか。
歴史を遡ると、養老律令(757年)にこんな記述がある。
凡そ官人年七十以上にして、致仕聴す。
(『日本思想大系3 律令』岩波書店 1976年)
「致仕」とは辞職のこと。当時は70歳で辞職したということなのだが、あくまで「聴(ゆる)す」。辞職は任意で、クビになったわけではない。クビという観点からすると、定年は江戸時代の大奥で始まったらしいのである。
江戸風俗研究家の三田村鳶魚によると、大奥には「おしとね御斷り」という制度があった。30歳になると出産が難しくなるので、殿様の相手を辞退する。「若しそれをしなければ、表好であるとか、好女であるとかいふことで惡く云はれる。お妾にしたところが、その停年期に逹して猶勤續してゐることは、仲間内がなかなか面倒」(三田村玄龍著『江戸の女』早稻田大學出版部 昭和9年)になるから。つまり年齢差別は女性差別から始まっているのだ。
おかしいではないか。