「おばあちゃんの味は美味しい」というのは、ある年齢までのある状況のおばあちゃんの料理を指していたのだな、と実感することが多くなった。
ぼくの母親は80代後半だが、孫(ぼくの息子)から「おばあちゃんの料理は美味しいね」と言われなくなって久しい。
一方、ぼくの義母は80前半である。かなり食に煩い人だった。食にケチることをしない。その血を奥さんは継いでいる。それが最近、義母も食への関心を失っている。年齢と共に徐々に味覚に鈍感になっていく、ということかと最初は思った。
レトルト食品をあれほど嫌っていたおばあちゃんたちが、「こういうのも良くなったわね」と言いながら食卓に並べていく。
2人とも伴侶を亡くし、自分のためだけに料理をするおばあちゃんだ。手の込んだ調理を敬遠しがちなのは分かるが、レトルト食品を評価するようになったのは、レトルト食品業界の努力の賜物とは異なるような気がする。
これは日本に限った風景ではない。イタリアでも同じ傾向を垣間見る。
息子をほんとうの孫のように面倒をみてくれてきた、80代半ばの「イタリアのおばあちゃん」にして、事情は同じだ。
自分の母親(ぼくの奥さん)に、「ママも、ああいう美味しいパスタを作ってよ」と小さい時は話していた今は高校生の息子が、「あのおばあちゃんの料理は、あまり食べる気になれない」と本人がいないところでこぼすようになった。