【安西洋之のローカリゼーションマップ】村上春樹が1980年代後半に欧州で生活していた頃のことを書いたエッセーがある。彼はその滞在中、ローマにもいたのだが、イタリアではジョギングする人が少ないとあった。ジョギングしているなら、仲間とおしゃべりしながら走っている、と。
うろ覚えで間違っていたら申し訳ないが、バックパッカーの少なさも例にしながら、イタリア人は孤独が苦手なのではないかと指摘していた(と思う)。
そのエッセーをトリノに住んでいた1990年代の前半に読み、「そう、そう」とぼくは頷いた。市内に流れるポー川の近くに住んでいたぼくが、その川岸を走りながら気づいたのは、ジョギングしている人のあまりの少なさだった。
大きな木々に覆われた広い散歩道が続き、川に沿って流れてくる風が心地よい。走るにはベストな環境であった。
日曜日の午前中には、教会でのミサを終えて散歩する人たちで賑わうのだが、そこで走る人を見かけるのは本当に少なかったのだ。
スポーツが嫌いかといえばそんなことはなく、スキーやサッカーに興じる人たちは周りに十分いた。単純なことを黙々と1人でやるのが性に合わないと思った人が、それを振り切ってあえて健康のために走る-ということをしない。無理をしないのが、イタリアの文化の特徴なのかと当時、ぼくは想像していた。
そして、サッカーをやらない、集団競技は嫌いと公言する人はかなり変わった人だと思い込んでいた。ステレオタイプなイタリア人像に洗脳されていた、と言われれば否定しない。
それから25年以上が経た。今、ミラノ市内の住宅地を走る人を見かけない日はない。ご多分に漏れず、音楽を聞きながらせっせとジョギングする人が多い。
それだけではない。スポーツジムのマークの入ったバッグを肩にかけて歩いている姿も日常の風景だ。ヨガをする人が必ずしも「オリエンタル文化に嵌った」タイプだけではなくなった。