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寅さんは時代を映す鏡だ OL、バブル、復興支援…「男はつらいよ」50年 (1/2ページ)

 映画「男はつらいよ」が世に出て50年。山田洋次監督(88)が生み出した寅さんこと車寅次郎が巻き起こす恋と騒動を描く喜劇のシリーズは、昨年12月27日に通算50作目となる新作「お帰り 寅さん」が公開された。振り返れば、寅さんが恋に落ちるマドンナもその舞台となった土地も、作品の全てが時代を映す鏡だった。(石井健)

 変わらない存在

 松竹が、シリーズ初の映画「男はつらいよ」を公開したのは昭和44年8月27日。「安保、高度経済成長と日本人が元気だった時代。寅みたいなむちゃくちゃな男も許容された」と解説するのは松竹の映像本部脚本開発室ゼネラルマネジャー、阿部勉さん(62)だ。

 阿部さんは、渥美清が寅次郎を演じた最後の10年で助監督を務めた。「各作品には、時代の変遷が、ごく自然に反映されている」と振り返る。

 例えば、1作目。寅さんの妹、さくらは高度成長を支えた“丸の内のOL”だった。4作目「新 男はつらいよ」(45年)には海外旅行ブームを反映し、ハワイ旅行騒動が。9作目「柴又慕情」(47年)で吉永小百合が演じたマドンナは「アンノン族」だった。

 ストライキが盛んだった頃の14作目「寅次郎子守唄」(49年)の寅さんは隣家の工場の労働環境改善を訴え、バブル経済に向かう34作目「寅次郎真実一路」(59年)には企業戦士が登場した。「ただ、寅次郎だけが常に変わらない存在だった」(阿部さん)。

 47作目「拝啓車寅次郎様」(平成6年)で寅さんは、3年の大火砕流で被害を受けた雲仙温泉にいた。48作目「寅次郎紅の花」(7年)では、同年1月に発生した阪神大震災の被災地である神戸市長田区。地元から「復興のために」と要望されて山田監督が決めた。撮影は10月。現地入りした渥美に、翌日の撮影の段取りを伝えたのは阿部さんだ。普段なら「ああ、そうかい」と明るく応答する渥美が、この晩は真剣なまなざしを向けこういった。

 「そうですか。明日、僕は“聖地”に足を踏み入れるのですね」

 「大勢の方が亡くなった場所で喜劇を撮っていいのか。ペタペタと足を踏み入れていいのか。そんな葛藤があったのかもしれない」と阿部さんは振り返る。

 すでに体調がすぐれなかった渥美は、翌8年に帰らぬ人となった。

 阿部さんによると「山田監督は『寅だったら、この社会ネタは使えたのに』なんてことを、その後もよく言っていました」という。「最近も『忖度(そんたく)だ同調圧力だと寅が生きづらい世の中になった』と」

 その「生きづらい」時代のさなか、50作目を数える新作「お帰り 寅さん」が公開された。

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