日本の人がこういうエピソードを聞くと、「口八丁手八丁で上手くやるのは正しくない」と感想をもつかもしれない。しかしイタリアでこのエピソードは評価される。
美術館のディレクターと昼食を皆でとったとき、このエピソードの開陳で眉をひそめられることはなく、逆に賞賛されたのである。どうやって苦境を脱するか、それを自分の知恵を絞ってどうやるのか、この点が評価の基準になる。
もちろん倫理的な面を反故にしてよいということではない。ただ、この場合、鉄道会社の非を衝かずに泣き寝入りすることなく、自分の論理の正当性を主張するにあたり、若干の「調整」は許容されるということだ。
一方、車掌はその「調整」を受け入れるにあたり、合計30ユーロからの割引という処置をするのではなく、2人の客は乗っていないという「調整」をしたわけである。車掌は車掌の立場として智恵を絞ってくれたのだ。
何事においても、解釈や許容の幅をどれだけお互いが認め合うか(あるいは目をつぶり合うか)、というコミュニケーション能力がサバイバル術になる。このあたりの勘が分からないと、イタリアの文化が分かったことにならない。それは日本で阿吽の呼吸を理解するのが大切であるのと同じように、イタリアで生きるに重要なことである。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。