このように文化の差異について触れてきて、また別のことをぼくは想起する。
グローバルに通用する考え方への尊重を第一に思う人は、文化の差異を「アクセサリー」のように見がちである。彼らは文化要素を無視するわけではないが、文化要素を強調する人を自分たちより「後進的」であると考えることがある。ユニバーサルあるいはインターナショナルな価値観は何よりも優位に立つ。そう思いたい人たちである。
傍観的に言っているように聞こえるかもしれないが、実はぼく自身の中にも、この性向がないわけではない。一方で文化を語ることが好きで、文化パターンを軽く見る人を「後進的」であると思う、もう一人の自分がここにいる。
文化要素の勘案は時と場合による、と言い切ってしまうと、身もふたもない。そんなの当たり前じゃない。唯一言えるのは、次のようなことじゃないか。
文化要素を閉鎖性の理由、または現象をネガティブに捉えるための方便に使うのはいただけない。他方、解放性の実現のため、または現象をポジティブに捉えるためのツールとするのは歓迎すべきではないか。
とまあ、ロンドンからミラノに戻る機内でこんなことをつらつらと考えていた。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。