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袖の「がんばろうKOBE」と共に成し遂げた日本一 プロ野球・オリックスの原動力 (1/2ページ)

 【阪神大震災25年 スポーツの力(中)】

 「がんばろうKOBE」。阪神大震災が起きた25年前、神戸市に本拠地を置くプロ野球のオリックス・ブルーウェーブ(現オリックス・バファローズ)はこのスローガンを掲げて戦い、平成7年にリーグ優勝、翌8年には悲願の日本一に輝いた。選手、そしてチームを突き動かした原動力は何だったのか。あれから四半世紀を経た今、中心選手の一人だった小川博文(52)は「使命感だった」と振り返る。

 野球しても…と自問

 地震が起きた7年1月17日。独身の小川は兵庫県西宮市の自宅で激しい揺れに襲われた。命の危険を感じて屋外に飛び出し、向かったのは近くに住む同僚、高橋智(52)の家。途中、道路の亀裂から噴き出すガスが陽炎のように揺らいでいた。

 その後、小川の家に避難してきた高橋の家族らと一緒に、約1週間過ごした。困ったのは水。断水が続く中、破裂した水道管から水が漏れ出していると聞くと、バケツを抱えて駆け付けた。知人がポリタンク30個分の水と食料を持ってきてくれたときには、人のぬくもりが心に染みた。

 「こんなときに野球をしていいのか」「他に役に立てることがあるのではないか」…。2月のキャンプインを控え、小川には戸惑いがあった。「プロの選手なのだから、野球をするしかない」と思いながら、神戸の街の惨状を目の当たりにすると気持ちは揺れた。

 地元と一体に

 背中を押してくれたのはファンだ。当初、球団は被災地以外でのホームゲーム開催を模索していた。しかし、オーナーの宮内義彦が「こういうときに逃げ出して何が市民球団だ」と、オープン戦も公式戦も予定通り本拠地で開催することを厳命。球団として被災地を勇気づける姿勢を示した。

 その結果、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)で行われた最初のオープン戦には8500人が来場。4月1日のシーズン開幕戦は、3万人の観客で埋まった。「ファンにどれだけ支えられていたのかを実感した」。スタンドの光景を見て、小川は感慨に浸った。

 この年、主催65試合の観客動員は前年を上回る計165万8千人。チームがファンを支え、ファンがまたチームを支える。「自分たちが頑張るのは当然。でも、被災したファンの『頑張って』『ありがとう』の言葉は重みがあって温かくて…。胸に迫るものがあった」。小川はファンとチームの一体感が日増しに強くなるのを感じたという。

 それが最高の形で結実したのが、翌8年の日本一。小川は「ここまでようやった、という思いを持ってくれたファンが多かったように感じる。本当に感謝しかない」と述懐する。

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