ひとつは、練習場の隣に仮設住宅が立ち並んでいたころのこと。選手の蹴ったボールがよく飛び込んだ。取りにいくのは、安達らスタッフの役目。「ボールが飛んできて申し訳ありません」。謝る安達に、仮設住宅に住んでいた女性はこう答えた。「横で元気に走ってくれているから、私たちも元気をもらえるんです」。まだ「スポーツの力」という言葉は生まれていなかったが、安達はサッカーに打ち込む意義を感じた。
もうひとつは、試合前にサポーターが「神戸讃歌」を合唱する場面。シャンソンの名曲「愛の讃歌」のメロディーに、震災から復興した神戸の街とチームの姿を投影したオリジナルの歌詞をつけたものだ。
「俺たちのこの街に お前が生まれたあの日 どんなことがあっても 忘れはしない 共に傷つき 共に立ち上がり これからもずっと 歩んでゆこう 美しき港町 俺たちは守りたい 命ある限り 神戸を愛したい…」
合唱は今年元日の国立競技場にも響いた。安達は言う。「ヴィッセルの生い立ちは他チームとは違う。地域やサポーターに支えられ、ここまできた。何年経過しても、感謝の気持ちを忘れずに受け継いでいってほしい」。それが、震災の街に誕生したチームの責任だと考えている。=敬称略(北川信行)
安達貞至(あだち・さだゆき) 昭和13年4月4日生まれ、兵庫県出身。関学大からヤンマーに入社し、サッカー部でプレー。平成6年12月に退社し、ヴィッセル神戸の強化部長に就任。横浜フリューゲルスのゼネラルマネジャー(GM)を経て17年にヴィッセル神戸にGMとして復帰。社長、副会長、相談役などを歴任し、退職。
阪神大震災はプロ野球オリックスの「がんばろうKOBE」など、被災者とスポーツ界のきずなが生まれた災害でもある。令和2年は東京五輪・パラリンピックが開かれる五輪イヤー。あらためて震災とスポーツの関わりを振り返った。