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明治のインバウンド観光地 河内の古墳群が再び脚光 (2/2ページ)

 物部、蘇我の権力闘争

 渡来系集団の背景には、天皇家と結びつくなどして勢力を伸ばした古代豪族、物部氏や蘇我氏の存在があった。

 この両氏は熾烈(しれつ)な権力闘争を繰り広げ、渡来系集団はその争いに巻き込まれた。日本書紀などによると、587年に物部守屋(もののべのもりや)が、蘇我馬子(そがのうまこ)や聖徳太子と対立し、中河内で戦死した。「丁未(ていび)の変」といわれる。

 この事件が、河内平野の遺跡の盛衰と重なるところが興味深い。集落跡や高安千塚古墳群は7世紀前後に一気に衰退する。物部氏の没落と時期的に合致し、こうした集落跡や高安千塚古墳群が物部氏の支配下にあったことがうかがえる。

 藤井係長は「被葬者は、在地系とともに、物部氏の支配下にあった渡来系集団などが考えられ、物部氏の衰退とともに古墳も造られなくなった」と推測する。

 「インバウンド」再び

 東アジア外交や、大和政権の勢力争いのカギを握るともいえる高安千塚古墳群。八尾市教委は、平成17年から国史跡指定に向けて古墳の分布調査を行い、27年3月に国史跡になり、保存と活用を図る。

 昨年に新泉社から出版された「河内平野をのぞむ大型群集墳 高安千塚古墳群」は、藤井係長と同市教委文化財課市史編纂(へんさん)室の吉田野乃(のの)主査が執筆。古墳群に親しんでもらおうと、古墳群の歴史的意義とともに、散策マップや歩き方も掲載した。

 「夏は蛇もいて危険なので、秋や初春がおすすめ」「石室が弱くなって天井に穴が開いているので、古墳の上にはのぼらないように」など細かく記す。

 インバウンドに沸く日本では現在、かつての爆買いだけでなく、京都や奈良、高野山や熊野古道など歴史遺産を訪ねる外国人も増えている。「高安千塚古墳群も明治時代に外国人が訪れたように、ぜひ多くの人に来てほしい」。市担当者らの願いだ。

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