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風評被害を招く感染拡大の背景分析 限られた異文化理解の適用は自戒が必要 (2/3ページ)

安西洋之
安西洋之

 この1カ月、イタリアにおける新型コロナウイルス感染に関する記事をかなり読んできた。イタリア語、英語、日本語の記事である。そこで気づいたのは、文化的な知識や経験、あるいはそこからくる勘を適用してはいけない場面で、それらを使っている記事がどの言語の場合でもあまりに多い。

 「中国人の移民が多いから、イタリアが欧州での発火点になった」は、他の欧州の中国からの移民の数を調べれば、これが充分な説明になっていないのが分かる。なぜ中国人がもっと多い英国やフランスが「先行国」にならなかったのか?

 「イタリア人は頬にキスをするから感染した」というのは、今や世界各地に感染した状況では、あまり説得力のない理由だ。1つの背景説明にはなるが、決定打にはなりえない。

 それなのに、こういう説明を、それなりに見識があるとみえる人が語っている。自分を早く納得させるために、使いやすい知識を援用して拡大解釈する。

 さらに指摘を加えれば、先月後半から今日(3月24日)までの感染者の8割近くは北イタリアに集中しているにも関わらず、OECDのデータにある国別の人口あたりのベッド数の比較で、イタリアの死亡者の多さの背景を想像しようとする。

 またイタリアの南北差を無視して書きながら、同時に米国では州別の分析の必要性を説く英国人の学者もいる。

 その一方、どこか特定の病院や医師のインタビューの一部を切り取って、「イタリア医療崩壊」のエビデンスを仕立て上げようとする。

 限られた状況での極めて乏しい情報で全体像をつくるのは、個人的なトレーニングとしては大いに歓迎すべきことだが、それなりに影響力があるメディアが多数の読者に向かって語りかけることではない。いや、「地獄への道は善意で舗装されている」との言葉に従えば、ソーシャルメディアのなかでの「善意」のつぶやきにも、それなりの自覚が求められるだろう。

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