「私が食にこだわってきたのは事実です。給料の半分以上を食費に使ってきたことも」。津々見さんはこう認めたうえで、その理由について続けた。
「編集者として新しい作品を作家と一緒に考える際、“食”はとても重要なテーマでした。楽しく食べることによっていろいろなアイデアが生まれるんです。そのための知識を身につけるため、美味しい料理を出すというお店を毎日、探していました」
こうした努力によって習得し、津々見さんが作家に教えた“食の情報”から生まれた新刊は少なくないという。
津々見さんは編集者の仕事と並行しながら、デンマークへ何度も出張し、レストラン出店計画を練っていく。そして2018年6月、ノーマのノウハウを生かした、KADOKAWAが運営する初のレストラン「イヌア(INUA)」が東京にオープンした。
6万円のフルコースの価値を
ノーマのスタッフを日本に呼び、レストラン開業に導いた津々見さんの手腕に、新たな“食のプロジェクト”が託される。
それが角川食堂だった。当初、角川食堂は社員食堂として計画されていた。
「イヌアのフルコース料理は1人約6万円。プロのシェフがこだわりぬいた食材を使った最高の料理なので、この値段はそれにふさわしいのですが、毎日食べるのはとても無理ですね。それなら、イヌア並みのクオリティを維持しながら毎日食べられる値段で、美味しい料理を提供することはできないだろうか…」
津々見さんは、これを「角川食堂」で実現し、さらに、社員だけでなく一般の人にも食べてもらいたい、と構想を膨らませていく。
KADOKAWAは、障害を持つ社員たちが働く自社農場「かどふぁ~む」を千葉に、また、創作活動をサポートする「ものづくり事業」に取り組む子会社「角川クラフト」を東京本社内で運営している。
津々見さんは、この社内資源を角川食堂の運営に生かせないか、と考えた。
「かどふぁ~むで栽培される無農薬の有機野菜は、これまで社員へ配られていたのですが、それだけではもったいない、と思っていました。例えば、その日獲れたばかりのバジルやミントなどのハーブを角川食堂のメニューの中で生かせたら…と」
また、美味しいコーヒーを角川食堂のメニューに入れたい、と考えていた津々見さんは「角川クラフト」にこの仕事を依頼。本格的なコーヒー豆の焙煎機を導入し、プロの焙煎士に協力してもらいながら、最も美味しいコーヒーを淹れるための独自の焙煎方法を研究していったという。
「出版社ですから、コーヒーの味や香りに一家言持つ編集者は多い。みんなのうるさい意見を聞きながら、焙煎やブレンド方法を練っていきました」と津々見さんは苦笑する。
さらに、カレーのメニューも考案。
「カレー好きの社員に集合をかけ、レシピを開発するために“角川カレー部”を創設したのですが、各部署から70人以上も集まったんですよ。やはりここでもみんなうるさくて、いろいろなアイデアを集約しながら“究極のスパイスカレー”を完成させました」
味だけでなく健康にも配慮し、手間暇をかけながら作り上げた「日替わり定食」の値段は1000円(税込み)~。角川食堂カレーは900円(税込み)~。角川コーヒーは一杯400円(税込み)~。
また、出版社ならではの特別メニューとして、同社が発行する月間の料理雑誌「レタスクラブ」で掲載されるレシピの料理もメニューとして登場するという。
津々見さんのこんな並々ならぬ「食」への情熱に共鳴するスタッフが次々と集結。東京の在日デンマーク大使館で勤務していた料理人も、角川食堂のオープンのために転職してきたという。
「イヌアの6万円のフルコースにも負けない料理を食べてもらう…。そう願いを込めて自信の料理を提供していきたいと考えています」
編集者からフードビジネスのスペシャリストへ…。津々見さんの挑戦に今後も要注目だ。