大宮のビジネスパートナーだった西山製麺が編纂した「札幌ラーメン年表」によると、大宮が世界初の味噌ラーメン「味噌味めん」をメニューに載せたのは1954年のこと。以後、60年代には味噌ラーメンが札幌の他店にも広がり、旅行者の評判になっていった、とある。昭和20年代にすすきのに登場した「ラーメン横丁」も、今でいう集合施設としてプロモーションされて観光客に浸透。花森が皮肉交じりに言った「サッポロ--まさしくラーメンの町」というフレーズは、実を伴って定着していく。
1956年度(昭和31年度)の経済白書は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言し、復興期から大量生産・大量消費社会への移行を示唆。翌57年には「観光事業振興5ヶ年計画」が策定され、戦後の産業政策に観光育成が本格的に組み込まれていく。札幌は「さっぽろ雪まつり」、そして「札幌味噌ラーメン」を代名詞に発展していくのだ。
その後、昭和40年代には百貨店の催事を契機に東京など都市圏でも味噌ラーメンがメジャーになり、1967年には味噌ラーメンを主軸にしたチェーン『どさん子』が1号店を両国に出店。以後、4年で300店舗超という猛拡大で列島を席巻する。翌68年にはサンヨー食品が「サッポロ一番みそラーメン」を発売。現在まで続くロングセラーに。チェーン店とインスタントラーメンという現代的な組み合わせを得て、札幌味噌ラーメンはラーメンの主要カテゴリーとなった。無論、ブレイクは国内にとどまらない。西山製麺はドイツ、アメリカ、シンガポールに拠点を構えてサッポロスタイルの麺を世界へ届けているし、海外に出店するチェーン、個人店も着実に増えている。
ファウンダーが戦時中に培った技術を基盤に、イノベーションとブランディングによって世界へ雄飛した。そんな札幌ラーメンの歩みは、ものづくりジャパンを牽引した企業群の眩しさに似る。復興から高度経済成長期まで、日本のサンダーロードを支えたのは、技量とアイデアで爆進した無数の背中たちに他ならない。
底冷えの札幌。雪をまとう北大ポプラ並木、冷気の中にたたずむラーメン店。味噌の香りと湯気の彼方に、戦後日本のバイタリティを感じたい。
【ラーメンとニッポン経済】ラーメンエディターの佐々木正孝氏が、いまや国民食ともいえる「ラーメン」を通して、戦後日本経済の歩みを振り返ります。更新は原則、隔週金曜日です。アーカイブはこちら