まさかの法的トラブル処方箋

「妊娠中、子の肌の色懸念され」メーガン妃、衝撃の告白から「平等」を考える (2/3ページ)

上野晃
上野晃

 不合理な差別とは何か

 メーガン妃が指摘した事実、イギリス王室の誰かが「肌の色に懸念」を示したというのが事実であれば、それは確かに由々しき問題です。ましてやその懸念なるものの意図するところが、人種的偏見に基づいていたとしたら、それは決して許されるものではないでしょう。日本国憲法的観点からすれば、こうした「懸念」の表明は、差別意識の表れであって、しかもその差別に合理性はないということになります。つまり、憲法14条に違反します。

 わが国で最近起きた出来事を例にとると、東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の会長だった森喜朗元総理が、「女性がたくさん入っている理事会の会議は時間がかかる」と発言したということで、激しいバッシングに遭いました。女性蔑視とされたこの発言、擁護する意見もありましたが、メディアは概ね批判的で、森元総理は組織委員会会長を辞任することになりました。

 事実関係について、メディアが発言を切り取ってイメージ操作したという指摘もありましたが、「女性」一般について話が長いといった趣旨の発言をしたことは事実であり、ある意味、差別的発言と言われても仕方のない部分はあります。そして、その差別に合理性がないことは明らかですので、やはり憲法14条の精神に反するものと言わざるを得ないのではないでしょうか。

 「不合理な差別」が意図するところ

 とはいえ、不合理な差別というものは、すべて押しなべて倫理的に非難されるべきものなのでしょうか。例えば、男性が、「男は女性を守るべきものである」と発言したとします。これって、極めて不合理な考え方だと思いませんか?

 なぜ男性は女性を守るべきで、女性は男性から守られるべきものと言えるのでしょう?

 逆に、「女性は男性を支えるべきもの」と考える女性がいたとします。この女性は差別主義者として糾弾されるべきでしょうか。多くの方々は、こうした発言をした男性、女性に対して、差別主義者であると糾弾する気は起きないでしょう。それは、その人の発言の意図するところに注目しているからだと思います。つまり、不合理な差別的発言であっても、その意図するところによっては、倫理的に「セーフ」となり得うるわけです。

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