対立を煽る意図か、融和的意図か
先ほどのメーガン妃が指摘した王室内の何者かの発言が、例えば、「どっちに似るのかしらね」といった他愛もなく微笑ましい家族の話題の中での発言であって、決して懸念を表明したという類のものでないのであれば、この発言はその内容如何(いかん)によっては、客観的には不合理な発言であったとしても倫理的にセーフになり得るでしょう。
森元総理の発言にしたって、その意図するところ如何によっては、「おじいちゃん、ちょっと古いよ、その考え方」という程度で済むものになりえるでしょう。ポイントは、おそらくその発言の意図するところが、他者との対立を煽る意図なのか、あるいはむしろ他者との融和を意図するものであるのかというところではないでしょうか。
不合理な差別によって苦しむ人がいてはなりません。しかし、本来、人と人の差異に理屈などあるはずがありません。合理性などそもそもないのです。その違いを口にすることそれ自体が不合理な差別として一切糾弾されてしまうとなると、誰もそれぞれの違いを指摘することができなくなり、まさに息苦しい社会となってしまうでしょう。
差別について、盲目的に目くじらを立てるのではなく、その意図するところを冷静に吟味し、差異を指摘すること一切を禁句とするのではなく、むしろそれぞれの違いを言葉にしながらその違いを楽しみ、互いに認め合う社会になってこそ、真に多様性ある社会と言えるのではないでしょうか。
少々センチメンタルな理想論かもしれませんが、そんな社会になれたらいいなぁ、と思う今日この頃です。
【まさかの法的トラブル処方箋】は急な遺産相続や不動産トラブル、片方の親がもう片方の親から子を引き離す子供の「連れ去り別居」など、誰の身にも起こり得る身近な問題を解決するにはどうしたらよいのか。法律のプロである弁護士が分かりやすく解説するコラムです。アーカイブはこちら