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アマの歴史を背負った“幻のいも”復活劇 伝統野菜再生の歩みとは (1/2ページ)

 大阪に隣接し、阪神工業地帯の中核的存在として知られる兵庫県尼崎市。略して「アマ」とも呼ばれる下町風情が色濃く残る町中にも、実は農地が点在する。そこでは伝統野菜の復活に取り組み、ブランド化を目指す動きが進む。その一つが「尼(あま)藷(いも)」。尼崎発の焼酎の原料としてよみがえった。伝統野菜再生の歩みからは、土地の歴史が見えてくる。(河合洋成)

 公害地域再生のシンボルに

 市西部の住宅街の一角に尼藷を育てる畑がある。

 手がけているのは、JA兵庫六甲の尼崎伝統野菜部会の部会長、高寺秀典さん(71)。「栽培は大変だけど、ボランティアに協力してもらい、維持できています」と汗を拭う。

 春に植えた種イモは、夏真っ盛りを迎えて青々とした葉を広げ、秋の収穫を待っている。

 一体、尼藷とは何なのか。サツマイモの一種で、江戸時代、寛政年間(1789~1801年)の新田開発により、現在の阪神尼崎駅付近の村で植えられたのが始まりとされる。

 その後の運命はこの土地の工業化とも関係が深い。

 もともと臨海部で栽培されていたが、農地の工場用地への転換が進んだところに、残った農場も昭和9年の室戸台風、25年のジェーン台風の直撃を受けた。ほぼ“絶滅”の状態になったという。

 その後、市内の大気汚染の深刻化により起きた尼崎大気汚染公害訴訟の原告団が「公害地域再生のシンボル」として、約20年前に尼藷を復活させようと栽培を始めた。

 そして平成17年、市やJAが本格的な復活プロジェクトに乗り出した。農林水産省から苗を譲り受け、市内農家に栽培を託した。

 焼酎には最適

 ただ、収穫できる量は限られていた。「幻のいも」としてアピールしようとしたものの、なかなか販路拡大につながらない。

 そこで、発案されたのが、芋焼酎の開発だった。元市職員で代々農家だった高寺さんのもとにも、市側から協力依頼が届いた。

 「絶滅したといっても細々と残っていて、子供のころは芋がゆにして食べていたよ」

 高寺さんも思い出をたぐりながら栽培を始めてみたものの、尼藷栽培は思いの外難しかったと振り返る。

 「うっかりしていると、めちゃくちゃ大きくなる『暴れイモ』。手ごろな大きさで収穫しないととんでもないことになり、売り物にならない」

 生食や調理には向かなかったが、糖度が低いことが焼酎づくりに適していた。まろやかな風合いに仕上がったのだ。銘柄名は市民公募で「尼の雫」に決まり、20年3月、尼崎酒販協同組合によって2500本が初めて販売された。

 「うれしかったね。自分たちの酒だって。尼崎の特産として土産にもなるから」(高寺さん)

 その後、栽培農家数は増減を繰り返し、今年度は4戸が約2300平方メートルで栽培する。小規模ながら、ここ数年は年間1トン以上を酒蔵に出荷しており、焼酎は尼崎ブランドとして定着するようになった。

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