ラーメンとニッポン経済

1988-バブルと美食の時代に 「無化調」ラーメンの風が吹く (2/4ページ)

佐々木正孝
佐々木正孝

 そもそも、化学調味料とは何か。一般的には「うま味調味料」と呼称される、この調味料。要はグルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸といった「うま味成分」を水に溶けやすくし、料理に使いやすくしたものである。昆布のうま味成分はグルタミン酸であり、カツオ節のうま味成分はイノシン酸、干しシイタケはグアニル酸--ラーメンによく用いられる食材のうま味エッセンスを凝縮したものだ。大衆と共にあり、大衆の舌に寄り添ってきたラーメンに合わぬわけがない。

 グルタミン酸が昆布だしの主成分であることを発見し、その味を「うま味」と名づけたのは東京帝国大学・池田菊苗博士。1908年の菊田博士の発見からすぐ、1909年には初のうま味調味料が市販されている。ちなみに、「初めてラーメンブームを起こした」とされる『浅草 來々軒』が浅草で開業したのが1910年。化学調味料とラーメンは、ほぼ同期生と言っていい。

 その後も、「チキンラーメン」が1958年に誕生すると、大手化学調味料メーカーの味の素や旭化成が新製法の「発酵法」を導入し、生産ラインを大幅に増強している。化学調味料はラーメン店、そして大量生産・大量出荷・大量消費のインスタントラーメンを橋頭堡に全国にあまねく進出。化学調味料の主成分であるグルタミン酸ナトリウムの生産量を見ると、1959年の年間1万6000トンから1969年には10万トンに達したほどだ。

 都市だけではない。この白い粉は農村、漁村、津々浦々にも押し寄せた。昭和後期には結婚式の引き出物として化学調味料を定番とする地方が珍しくなかった。バブル期前の日本では化調の需要が爆発的に増え、その受容も着実に進んでいたのだ。

■叛逆の刃を研いだ食マンガと「無化調」がリンクする

 経済成長と共に食糧事情も豊かになり、日本人の舌は油脂寄り・濃厚味の洋風指向に傾斜。インスタントブームと相まって化調トランスフォーメーションが進む中、海外では化学調味料を大量摂取した際の様々な反応を「中華料理症候群」として煽る動きも見られるようになった。

 日本でも、和食の世界では化学調味料を疑問視する向きもあった。だしを丁寧に引き、食材の旨みを抽出する調理と化学調味料の相性は微妙(その後、カツオ節の煮汁などで風味をつけた「ほんだし」など風味調味料は一定の支持を得ていく)。匠は、幼少時にラーメンを食べていると「(化学調味料が入っているので)汁は飲んでは駄目だ」と、料亭の女将だった祖母にきつく言われていた。その言葉を胸に、彼は「純粋な味」のラーメンを目指すようになっていく。

「本物を食べさせる店を出そう」と決意し、料理人の修行を始めた匠ゆうじ。同時期、エンターテインメント界にも苦々しい思いを隠さない男がいた。食マンガの金字塔『美味しんぼ』の原作者・雁屋哲である--。ここで時を戻し、80年代初頭の食に関する表現空間を振り返ろう。

 『美味しんぼ』の連載がスタートしたのは、1983年『ビッグコミックスピリッツ』20号。86年には、作品発の「究極」が新語大賞を受賞するなど、一億総グルメブームの先鞭をつけたマンガと言っていい。「まったりとしてこくのある味わい」「こってりしているのに少しもくどくなく」「噛むと肉汁がたっぷり」など、現在の食レポで使われる表現、語彙の多くは『美味しんぼ』に由来するものだろう。

 東西新聞文化部のグータラ社員・山岡士郎と新入社員・栗田ゆう子が美食家・海原雄山と対峙する。『究極のメニューvs.至高のメニュー』の食バトルが物語の骨格をなす『美味しんぼ』だが、『グルメ漫画50年史』(星海社新書)を綴った杉村啓によると、究極vs.至高対決が本格化するのは単行本15巻(1988年7月発売)からのこと。連載スタートダッシュ時は「大きなもの(権力)に抗する漫画」として走り出したという。「大資本の店や大企業や大手メーカーに、昔ながらの手仕事でやっている小さな店が苦しめられている。そこを山岡が知識で救っていくというパターンはまさにこのことの現れといえるでしょう」(前掲書・杉村啓)

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