男性版「海士」も
海の博物館によると、75年ごろには、久慈とほぼ同緯度の日本海側、秋田県男鹿(おが)半島に海女がいたとの記録がある。
さらに階上町や八戸市には、海女がいたことをうかがわせる伝統的な職業も残る。男性が素潜りでウニなどを採る「海士」、男性版の海女だ。
八戸市の海士は昭和初期、スキー用ゴーグルを楕円形にしたような特注の「一つ眼鏡」を着用して潜ったのが特徴で、今でも、少数が年に数回活動する。八戸市博物館の古里淳学芸員(53)は「素潜り漁は体力を使うので次第に海女が消え、海士が残ったのだろう」という。
海女が生業となりうるかは岩場にウニやアワビなどの獲物が十分にあるかどうか、漁場の要因が大きい。海の博物館の石原義剛館長(76)は「漁業規模が小さく、夏場の生計を補う必要があった場所では条件さえあえば海女がいたと思われる」とし、かつては東北地方北部にも多くの海女がいた可能性があるとする。