にもかかわらずこの本が極度におもしろかったのは、そうしたわからないことがわかるようになったからではなく、どうしても思えないことを思うためにはわからないことをわからないように書くしかない、ということがわかったからである。
そしてその、わからないこと、ということはなにかというと、死んだ人間が生き返る、ということで、私たちは死んだ人間が生き返るとはどうしても思えず、イエス様が私たちのために死に3日後に復活した、と言われてもそれはまあそうは言っているがそれはあくまでも物語のなかの話であって現実にはそんなことはありゃあせんだろう、と思ってしまう。本書の、それを打破するために、こうするより他なかった、という「解読」は読み狂人にとって痺れ薬のようなもので脳が痺れてとってもいい気持ちだわー。ってね。
愛による記憶の再生
なんて惚(ぼ)けはいらないが、つまりしかしそのような、いわば思うこと、いわば信仰が必要とされるのは、いまもいうように人は死んだら生き返らない。ものも言わない。ものも思わない。思い出だけの存在になってしまい、それは死ぬ者にとっても死なれる者にとっても悲しく侘びしく、つらく切ない想念であるからであろう。なーんて思いつつ読んだ、藤野千夜の『君のいた日々』は、それこそ、祈り、のような本であった。