「タップダンスを続けることが使命」と語るタップダンサー、熊谷和徳さん(田中幸美撮影)【拡大】
帰国後はジャズやクラシックなどのアーティストとセッションを行って新境地を開拓。米ダンスマガジンで「世界で観るべき25人のダンサー」にも選ばれるなど自らの世界を築いた。
しかし、2011年3月11日を境にすべてが変わってしまった。「踊りのモチベーションがストップしてしまうほどだった」という。
支援の限界思い知る
仙台市出身の熊谷さんは高校まで仙台で過ごした。東日本大震災で青葉区に住む両親は無事だったが、中学時代の友人や親戚を亡くした。震災の1カ月前にショーをした名取市(宮城県)の会館は避難所になっていた。「ショーを見てくれたお客さんのどれだけが亡くなったのだろうかと考えるとかなりしんどかった」という。
2011年は支援に力を注いだ。しかし、震災のチャリティーイベントに呼ばれてタップを披露しても「果たしてそれがどういう意味を持つのか」と懐疑的になり、自分ができる支援に限界があることも思い知らされた。悩んだ挙げ句、「いいタップダンサーになることを追求するのが自分の使命」と思い至った。「次のステップに行くためには、やってきたすべてをもう一度NYでぶつけてどう評価されるか知りたかった」とも。