それぞれが直面した試練、支えになってくれた母のことを語り合う鈴木明子さん(手前)と佐藤真海(まみ)さん=2014年3月31日、東京都千代田区(大橋純人撮影)【拡大】
鈴木さん「母も、『娘は元気で、スケートも頑張れば良い成績を出すのが当たり前』と思っていました。周囲と比較して、『(安藤)美姫ちゃんは4回転ジャンプを跳んでいる』とか言ってました(笑)。私が病気になったとき、それまでの日常が当たり前ではなくなって、母も本当に変わりました。摂食障害に小さいときの親子関係が影響しているといった指摘もあり、すごく責任を感じていたようです。いまでは、私の一番の理解者で、一番近くで支えてくれています」
佐藤さん「私にとって、母はずっと一番の応援団です。小さいときに習っていた水泳や勉強で結果が出なくても、努力した過程を見ていてくれて、『次、頑張ればいいよ』といつも励ましてくれました。私が足を切断することになったときも、『代われるなら、代わりたい』と言っていました。私のせいで悲しませてしまったと思い、お見舞いに来てくれたときにはいつも以上に元気な笑顔を見せようとしていたことを思い出します」
鈴木さん「(現役最後の)3月の世界選手権に向かうために自宅を出るとき、母はすごく晴れやかな表情で『こんなにも楽な気持ちで送り出せる試合はない』としみじみと話していました。ようやく卒業させられるということなのでしょうが、これまで一緒に戦ってくれていたんだと胸が熱くなりました」
――将来は、どんな母親になりたいですか