必死のリハビリで13年春にヤクルトから入団テストの声がかかったが、直前になっても状態は回復せずに辞退せざるをえなかった。「ダッシュして走り込むことができなくなったら、投手としては終わり」。私の持論だった。それを痛感した13年夏にユニホームを脱ぐ決意を固めた。
強くなる可能性ある国
第二の人生を考えたとき、目を向けたのが世界の野球事情だった。国際大会には縁があった。日本が初めてオールプロで臨んだ04年アテネ五輪で銅メダルを獲得。06年のワールド・ベースボール・クラシックで初代王者になったときも代表メンバーだった。
13年の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、参加国がそれまでの16から28カ国・地域に拡大した。どんな国が新たに参加したのだろう、とインターネットで検索していたときに目に留まったのが、ニュージーランドだった。