印中両軍が国境で武力衝突した1959年9月、この年インドに亡命したダライ・ラマ14世(左)と話すネルー印首相=ニューデリー(AP)【拡大】
「領土の主権、海の境界設定で問題は一度も起こしていない」「領土・主権・海洋権益の争いを適切に処理している」
会議最終日で疲れが蓄積した参加国の国防相らは、三流コメディアンの話を聴くがごとく、笑えないストレスを感じたかもしれない。ただし、呉中将が「対話と協調を掲げる」と何度目かのウソを放言した直後、小欄同様、印代表団の警戒感は頂点に達したに相違あるまい。
「廉潔」こそが格好の標的
冒頭で触れたネルーは「対話と協調」で殺されたに等しい。ネルーを「高い理想」と「廉潔」の持ち主だと評する向きは少なくない。だが「高い理想」「廉潔」こそが、中国の格好の標的と成る。ネルーが心臓麻痺に至る道筋をたどる。
死への一里塚は1954年6月、ネルーと中国の周恩来首相(1898~1976年)との共同声明だった。声明は、2カ月前に締結された《インドとチベット間の印中通商・交通協定》の前文がベース。即ち(1)領土・主権の相互尊重(2)相互不可侵(3)相互内政不干渉(4)平等互恵(5)平和共存-をうたった《平和5原則》。