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【軍事情勢】ネルー印首相の命縮めた中国「対話と協調」戦略 (4/5ページ)

2014.6.15 08:36

印中両軍が国境で武力衝突した1959年9月、この年インドに亡命したダライ・ラマ14世(左)と話すネルー印首相=ニューデリー(AP)

印中両軍が国境で武力衝突した1959年9月、この年インドに亡命したダライ・ラマ14世(左)と話すネルー印首相=ニューデリー(AP)【拡大】

 ネルーの狙いは、朝鮮戦争(1950~53年、休戦)の混乱に紛れチベット侵攻の残虐度を上げた中国との「対話と協調」にあった。大東亜戦争(41~45年)によりアジアから欧米列強を駆逐したにもかかわらず、チベット問題を契機に再び列強がアジアに介入する、冷戦のアジア飛び火を憂慮。5原則を軸に印中間での解決を目指したのだ。

 想像上の環境に住む愚

 ネルーは56年、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(78)を仏陀生誕2500年祭に招いた。反対する中国を、ダライ・ラマの「自由な訪印を喧伝すれば中国にも有益」と説得、招待を実現させた。ダライ・ラマはネルーや訪印した周と会談を重ね、インドへの亡命やチベット人大虐殺停止などを訴えた。周が善処を“確約”したことで、ネルーはダライ・ラマの亡命を拒み帰国を促した。

 ところが、チベット人蜂起を受けた59年3月のダライ・ラマの印亡命→チベット臨時政府樹立を機に印中国境で9月、両軍が武力衝突。62年には中国軍8万が奇襲・侵攻し、印軍1万は戦死・行方不明3000/捕虜4000を出す大敗北を喫する。

ネルーの完全な読み誤りであった。実のところネルーは…

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