中隊は事故前日まで雫石近くの訓練場で1週間、風呂も入らず泥だらけで猛訓練に明け暮れていた。事故当日は3分の2が代休を取り、久々の酒を楽しんでいる隊員が多かった。携帯電話はなく、ポケットベルもほとんど流通していなかった時代。連隊では、繁華街に街宣車も投入、スピーカーで非常呼集=帰隊を呼び掛けた。
訓練疲れに暑さ、一部は寝不足や二日酔いも加わり、鍛え上げた隊員たちを悩ませた。昼飯。斯くなる劣悪の環境下では本来、あっさりとして塩分の効いた赤飯が最適。だが、まさか赤飯を出すわけにもいかぬ。缶詰を開けるとトリ飯だった。周りのにおいと一体となり、ベテランの陸曹(下士官)のみ黙々と食べた。前後して、貧血や脱水症状が始まる。若い隊員は乾パンに塩を振り、無理やり口に詰め込んだ。水を補充したくても、川の水は血のにおいがした。少なくともそう感じた。
「162人の命の重み」
現場には、土産の縫いぐるみのクマや菓子、指輪や財布が散乱していた。マレーシア航空機撃墜でも焼け焦げた機体の破片のそばにスーツケースや免税店の土産品袋はじめ、オランダの絵本キャラクター・ミッフィーのグッズが落ちていた。雫石とマレーシア航空機撃墜で共通するのはそうした所持品の間に、服を着ていないご遺体が横たわる悲しい光景。S一尉は途切れ途切れに言葉をつないだ。