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【日本遊行-美の逍遥】其の十一(近江路・滋賀県) 広重も描いた交通の要所 (1/4ページ)

2014.8.7 15:25

日本三名橋、日本三古橋ともいわれる瀬田の唐橋。歌川広重も「近江八景」の一つとして、夕刻の橋を描いている=2013年8月25日、滋賀県大津市(井浦新さん撮影)

日本三名橋、日本三古橋ともいわれる瀬田の唐橋。歌川広重も「近江八景」の一つとして、夕刻の橋を描いている=2013年8月25日、滋賀県大津市(井浦新さん撮影)【拡大】

  • 毎年8月8日に行われるびわ湖大花火大会。その規模も美しさも別格の存在感=2013年8月8日、滋賀県(井浦新さん撮影)
  • 松尾芭蕉が訪れた満月寺浮御堂。湖上に突き出たこの仏堂も、広重の「近江八景」に現れる=2013年8月25日、滋賀県大津市(井浦新さん撮影)
  • 大津絵の伝承者、四代高橋松山氏が描く、鬼の寒念仏=2014年5月2日(井浦新さん撮影)
  • 近代化の波に晒され、伝承に本当に苦労し、必死に努力した先達。大津絵を立体化して彫った木彫は、迫力と気概に満ちていた=2014年5月2日(井浦新さん撮影)
  • 滋賀県大津市の「瀬田の唐橋」と「満月寺浮御堂」
  • 俳優・クリエイター、井浦新(いうら・あらた)さん(本人提供)

 豊かな水をたたえる琵琶湖周辺には、縄文時代から多くの人々が住み続けてきた。明治維新以前、琵琶湖畔の近江の地は、京都や大坂、伊勢への入り口として、また東海道の宿場町としてにぎわい、名所も多く、文学や美術の舞台にもなった。

 かつて紫式部は三上山を近江富士になぞらえ、歌を詠んだ。瀬田の唐橋(からはし)は、7世紀の壬申の乱における最終決戦の場所。桃山時代に茶人・千利休の問答に答えるべく、古田織部が早馬を飛ばして擬宝珠(ぎぼし)を見に行ったのもこの橋だ。浮世絵師・歌川広重も「近江八景」で瀬田の唐橋を描いた。

 日暮れ時、僕もカメラを片手に橋のたもとに立ってみた。錚錚(そうそう)たる歴史上の登場人物たちへオマージュをささげながら、あの広重の描いた夕照の風景を、自分なりに撮ってみたいと思ったのだ。

 僕は近江の地が大好きで、東海道本線や北陸本線、湖西線を乗り継いで、何度も旅をしている。とりわけ琵琶湖の西側は、のどかな田園風景が広がり、ついのんびりしたくなる。とはいえ、列島のへそにあたる交通の要所、京阪神の水甕(みずがめ)、日本最大の面積と水量を誇る湖のまわりに、何もないわけがない。近江大津京(おうみのおおつのみやこ)ゆかりの三井寺、織田信長の安土城、松尾芭蕉が訪れた満月寺浮御堂(うきみどう)など、際限なく続きそうだ。一駅一駅、降りて散策したくなる衝動にかられる。

琵琶湖でたぐり寄せる水辺の記憶

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