◆報酬として「当然」視
フランス軍に並ぶのが、もちろん、当然、やっぱりロシア軍だった。上級将校は部下が奪った高価な掠奪品を横取りしたというから、ロシア軍の“面目躍如”。親露派民兵もマレーシア航空機撃墜現場で、財布はもちろんクレジットカード、携帯電話まで盗み、実際に使用しており、ロシア=ソ連軍の「血」はしっかりと受け継がれている。
英軍も仏露両軍に負けじと《掠奪隊》を組織し、大規模な「荷造り」をして本国に送った。英国海軍は16~18世紀にかけ、堂々と海軍旗を掲げて海賊行為を行ったが、海軍陸戦隊や陸軍も負けてはいなかった。
確かに、19世紀までの倫理観や法体系は現代と異なる。ロシアの思想家レフ・トルストイ(1828~1910年)は、1865年から69年にかけて発表した、フランスのロシア進攻(1812年)→敗北→退却を描いた大河歴史小説《戦争と平和》で、自らの戦争観を吐露している。
《数百万の人たちが、互いに掠奪・放火・虐殺など、あらゆる悪をやってのけ、全世界の裁判所の記録は何世紀かかっても、とうてい集めきれないほど多かったが、この時代には犯罪とはみなされなかった》
戦闘後に命懸けで戦った将兵への「当然」の報酬として、占領地での掠奪は「当然」視されていた。だが、北清事変の前年=1899年、主要国がいわゆる《ハーグ陸戦条約・規則》に調印して以降は「当然」ではなくなった。