御嶽山(おんたけさん、3067メートル)噴火による犠牲者のひつぎを遺体安置所から車に運び込み、手を合わせる関係者。火山活動による犠牲者数では戦後最悪となった=2014年10月1日午後3時55分、長野県木曽郡木曽町(共同)【拡大】
麻衣さんは日本生命保険の子会社「ニッセイアセットマネジメント」(東京)で勤務し、多忙な毎日を送っていた。「今年の正月に帰ってきたときは、とても元気な様子だった」と母親。帰省するのは年に1、2回程度だったという。
母親によると、麻衣さんは今回、友人と3人で御嶽山に登ったらしい。富士山に続き今回が2回目の登山だった。
小中高で同級生だった札幌市の男性(30)は、常にクラスの中心にいる人気者だった麻衣さんの姿を思い出す。中学校では生徒会の副会長を務めていた。「とても活発でいろんな所に旅行していたと聞いていた。亡くなったのは信じられない」と話した。
東京都の友人の男性(31)は、2年前に共通の知人を通じて麻衣さんと知り合った。友人が多く、行動的な性格が印象に残っているという。「同姓同名の人が亡くなったのではないか。まだ信じられない」と声を落とした。