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「火垂るの墓」野坂昭如さん死去 85歳 (2/3ページ)

2015.12.11 07:30

1974年12月、「中年ご三家」を結成し、コンサートを行った永六輔(えい・ろくすけ)さん(右)、小沢昭一(しょういち)さん(左)と野坂昭如(のさか・あきゆき)さん=東京都千代田区の日本武道館(共同)

1974年12月、「中年ご三家」を結成し、コンサートを行った永六輔(えい・ろくすけ)さん(右)、小沢昭一(しょういち)さん(左)と野坂昭如(のさか・あきゆき)さん=東京都千代田区の日本武道館(共同)【拡大】

  • 作家の野坂昭如(のさか・あきゆき)さん=2001年7月12日、大阪市淀川区(森本幸一撮影)

 「焼け跡闇市派」の代表選手

 1975年だったと思う。野坂昭如の講演とは名ばかりの、今で言うライブを小さなホールの最前列で、学生仲間と聴く機会があった。「歌手」野坂はウイスキー瓶を持って現れ、すでに酔っているふうだった。焼け跡闇市派の代表選手がそのとき歌ったなかに、♪(=歌記号)ぼうぼう野っ原に電信ばしらなんぼん…という歌詞があった。「黒の舟唄」や「マリリン・モンロー・ノー・リターン」といった楽曲にも共通する深い虚無感が、一瞬だけ、黒メガネの奥からのぞけた。

 それにしても、どう時間をやりくりしてのライブ出演だったのだろう。このころ、週刊誌と月刊誌に数本ずつ、小説を月2本ぐらい連載し、単発エッセーに対談、講演、テレビやCM出演(ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか)、ラグビーにキックボクシング、飲酒に読書…。

 あのころは作家というより「タレント」だった。にもかかわらず照れ屋。しかし、黒メガネをかけてCMで歌い踊れば「エロ事師たち」でデビューしたうさん臭さを吹き飛ばせる元気な時代でもあった。

「差別する連中許せぬ」

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