イタリアデザインの「跳躍」をどう理解するか 日本の企業社会にも必要 

 

 今週、東京でややクローズドな小さなプレゼンテーションがあった。ミラノ工科大学デザインコースと立命館大学経営学部が両者で検討中のデザインマネジメント教育プログラムの紹介である。参加者はプログラムへ関心を抱いている企業の方である。

 過去、日本の人たちは「イタリアはデザインの国」だと見てきた。ファッション、クルマ、雑貨など話題になったモノを連想し、「イタリアには良くデザインされたモノが多い」と思ってきた。例え普段使いに向いていなくても、「これはイタリアのモノだから」という言い訳が成立した。

 イタリアにデザインを勉強するために留学する学生も多い。テキスタイル、ファッション、プロダクトデザイン、建築と分野は広い。イタリアのデザインに囲まれ、その発想やノウハウを身に着けたいと願うのだろう。

 しかし、イタリアのデザイン理論を学びたいと思う日本からの留学生は少ない。理論であればアングロサクソン系の国に行く。が、現在、ミラノ工科大学でのデザインマネジメント研究の内容は、他の国の研究機関ではカバーしきれていない先端的なものがある。

 デザインを経営全体にどう持ち込むかをテーマとする戦略的デザイン、モノとサービスを総合的に捉えるプロダクト・サービス・システムなどだ。これらを日本にどう紹介していくかを、今週話し合った。

 この話し合いに参加しながら、日本から理論を学びにいく留学生が少ない背景を考えた。イタリアの発想プロセスで重視する「跳躍」を日本の人がどう理解するか。これが案外、鍵ではないか、と。

 イタリアで推奨する着想までのプロセスは、まず頭を空にし、分野に限らず水平的にインプットを重ねる。そしてある飽和状態のタイミングで、「跳躍」が起きる。そこに新しいアイデアが到来するのだ。

 基本的に、このプロセスはどこの文化圏であろうと変わらないはずだが、アングロサクソン系の方では、飽和状態からの論理的な積み上げがあって「跳躍」があるような印象がある。つまり「跳躍の高さが低い」。比喩的にいえば、土地の隆起があって跳躍のポイントにたどり着く。

 したがってアイデアにロジカルに到達できる気になりやすい。イタリアでは、そうとうに跳躍力がないとできない、と思われやすいのではないか。

 特に、日本ではロジカルではないことに弱点を感じることが多かったから、「ロジカルシンキング」というブームがあった。もともとロジカルであることを前提にしている文化圏では、ありえないブームだ。

 当然だが、イタリアにおいても「ロジカルシンキング」ブームなどない。しかし、一度「ロジカルシンキング」の色眼鏡を装着した目に、イタリア文化土壌にある着想地点は遥か彼方に見えてしまうのかもしれない。

 やや、大げさな表現を使えば、その跳躍はロジカルシンキングに対する「背徳行為」ではないか、とのうしろめたさがつきまとう。せっかく開墾された土地に足を踏み入れたのに、また未墾のカオスの場に逆戻りするのかとの面倒臭さもある。

 言うまでもないが、すべては錯覚である。新しいことをやるなら整理された土地などないし、何らかの道筋がはっきりしているなど稀だ。それがためにロジカルに段取りするわけだが、そうしてできた道が向こうの森に繋がるかどうかは誰にも分からない。

ここでふと思う。「跳躍」というプロセスを公認してくれるロジックを、日本の企業社会ではより求められているのかもしれない。「跳躍」が必要なことなど周知のことなのに、「跳躍」を許容しない土壌ができてしまったために、う回路が必要になったのではあるまいか。

 えらくややこしい迷路に入り込んでいる。

 こういうことをつらつらと考えていると、イタリアのデザインマネジメント理論を紹介する意義は、デザインマネジメント理論そのものに限らない、という気がしてくる。(安西洋之)

【プロフィル】安西洋之(あんざい ひろゆき)

上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)フェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih

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