■最盛期
農林族はどのようにして力を付けたのか。
戦後の農政は、食糧管理法(食管法)でコメは政府が全量固定価格で買い上げており、農家は生活の安定が保証されていた。しかし高度経済成長とともに、コメの在庫が急増。政府は昭和45年に新規の開田禁止など本格的なコメの生産調整に乗り出した。そこに、農家のために米価下落を食い止めようとする農林族が台頭し始めた。
農業予算を獲得して農家や農業団体に「分配」し、選挙で票をもらう-。農林族と農業団体が農水省を使って日本の農政を仕切る構図ができた。平成19年産のコメ相場が下落したとき、自民党は農水省に圧力をかける形で余剰米を政府に買い取らせて米価を維持する離れ業をみせた。
■集票力低下
西川氏は、21年の衆院選落選後、現場を歩き回った。耕作放棄地の多さに「これまでやっていたことが農業のためになっていない」と気付いたという。
昨年末に返り咲いた後も、TPP交渉については5分野の「死守」を繰り返していた。しかし、7月の参院選後、軟化に転じた。衆参の「ねじれ」が解消し、当面、選挙はないとの議員心理が働き、本音を言いやすい環境になった。
全国農業協同組合中央会(JA全中)の集票力低下を指摘する声もある。JA全中出身の山田俊男参院議員が7月の参院選での得票は34万票。初当選した6年前に比べて約10万票も減らした。農業人口の減少もあるが、「農家の農協への不満もある」(北海道選出議員)と農家の農協離れも背景にありそうだ。