ウー・タンマウンの葬儀は2013年8月15日に行われた。遺体はそのまま、レンガとモルタルで作られたグーと呼ばれる墓(手前左)に棺ごと納められた(筆者撮影)【拡大】
□村落式相続法(上)
■財産分与は生前に
長い間、農村の調査をしていると、親しくしていた村人の死に遭遇することがある。私は2013年の7月から8月にかけて、ティンダウンジー村の調査をしていた。当年83歳のウー・タンマウン(ウー・は目上の男性に付ける敬称)にインタビューを行ったのは、7月31日夕刻だった。
彼と初めて会ったのは1987年であり、彼の世帯の家計調査はその年と94年に行い、13年が3回目であった。経済調査を行わない年も彼の家を頻繁に訪ね、お茶をいただきながら世間話をして、村の歴史、農業、最近の若者事情など、いろいろなことを教えてもらった。
◆結婚を機に水田贈与
その彼が、長年患っていた糖尿病のせいで心臓が弱り、13年8月13日に亡くなった。あの7月末が彼に会った最後の日となった。今回は彼が死ぬまでにどのように財産を子供たちに分け与えたかを、次回はその法律的経済的含意を中心に、ミャンマー村落における相続の話をすることにしよう。
ウー・タンマウンはこの村の比較的裕福な農家に生まれ、70年代から80年代にかけて、ビルマ式社会主義体制下で村落人民評議会議長を務めた長老である。彼には8人の息子と2人の娘がいる。この村の世帯当たりの子供の数は87年時点で平均3.24人、94年時点で3.04人だったので、村の中では突出した子だくさんの世帯であった。
87年の調査時、彼は結婚して別世帯を構えた(オー・クェデー=鍋を分けるの意味)長男に0.88エーカー(約0.35ヘクタール)の水田を贈与しており、自らは屋敷地と12エーカーの水田を保有していた。94年の調査時には、さらにオー・クェデーした2人の息子に0.8エーカーと2エーカーを与えたが、娘には与えなかった。