100点を超える出土品の中で、とりわけ興味深かったのは、煬帝のものとみられる2本の歯だった。煬帝は江南(いまの揚州)で部下に殺されたのだが、年齢も一致しているという。このほか煬帝の墓と結論付ける決め手となった墓誌や金玉帯なども展示されていた。
もっとも展示されている出土品の説明は実にそっけない。出口近くになるまで、いつ出土されたのかも書かれていない。煬帝の墓だと100%確信していれば、より詳細な説明があってしかるべきだろう。確かに歴代皇帝の「帝陵」によく見られる功績をたたえる文章などの副葬品も出てきていない。
それでも煬帝が必ずしも暴君だけではなかったと思わせる出土品があった。牛や犬、鶏、馬など、たくさんの動物の陶磁器である。実に生き生きとしていて、当時の文化水準の高さを示すように思えた。
悪役として定着していた魏の曹操も、最近では戦略家として秀でていたとの評価が高まりつつある。煬帝の人物像についても、これから出土品の分析が進めば、かなりの修正が加わるのではなかろうか。