ある英国人の音楽の先生がぼくに語った。
「私が音楽教育に情熱を捧げるのは、ひとりひとりが自分の考えで自信をもって音楽を判断する力をもって欲しいからなの。音楽は人をエンドレスに向上させるツールと捉えているわ」
彼女は、オンラインを使った音楽教育のプログラムを構築中で、その目的が上述のセリフにある。
彼女は「音楽は世界の共通語という人がいるけど、音楽を分かっていないわね」と指摘する。しかるべき教育を受けないと、その音楽が良いかどうかは分からないのである。その証拠に邦楽の良さを理解する欧州人は少ない。
音楽が大量生産され大量消費されている。しかも曲の最初の2-3分が勝負で、聴いた人々の気分が変わっていく。そういう状況に対して、かの音楽の先生は「流されない」ために訓練をしておくのは大切な教養であると考えているわけである。
人が同じスポーツの試合で心がつながり、同じ曲で感情を通わせるというのは、すべからく学びや習得というプロセスを経た結果である。