冒頭で紹介した息子の大人とのサッカーの試合からぼくが考えたのは、共通語とは共通語としてあるのではなく、共通語たらん、あるいは共通語にみえるように、と努めたために共通語になっているという事実だ。
スポーツを共通語というポジションにおくと、先生と生徒、大人と子供、こういう敷居を超えてコミュニケーションを図るに有効だと先生たちは教えたいに違いない。「これを共通語というんだよ」と。
言葉の話ならわりと簡単に分かる。どこの国でもある地方で話される言葉を「共通(標準)語化」しようとする。しかし、スポーツや音楽ははじめから共通語であったと思いこみがちである。しかも、言葉の壁を超える共通語として上から降りてくる。そんなイメージをもつことが多い。
が、繰り返すが、これら音楽やスポーツも、共通語として認められる工夫をとってきたから、現在の認識が世の中にいきわたっている。
言うまでもないが、全てが共通語になる必要はないし、共通語にならないほうが良いケースも多い。それでも共通語とはどういう条件をクリアするのか、共通語らしくみえるとはどういうことか、共通語にするために何をすべきか、ということは多くの事例で考えておくと良い。
それによって、「これを共通語にすると危ない」との嗅覚も磨かれる。つまり共通語化を拒否するトレーニングである。
流されないためには、流されないための術を身につけないといけない。
ローカリゼーションマップとは? 異文化市場を短期間で理解するためのアプローチ。ビジネス企画を前進させるための異文化の分かり方だが、異文化の対象は海外市場に限らず国内市場も含まれる。
安西洋之(あんざい ひろゆき) 上智大学文学部仏文科卒業。日本の自動車メーカーに勤務後、独立。ミラノ在住。ビジネスプランナーとしてデザインから文化論まで全方位で活動。現在、ローカリゼーションマップのビジネス化を図っている。著書に『世界の伸びる中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』 共著に『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか? 世界で売れる商品の異文化対応力』。ローカリゼーションマップのサイト(β版)とフェイスブックのページ ブログ「さまざまなデザイン」 Twitterは@anzaih