吉田の「360度」の思想転換
吉田の答弁や回顧を通読すれば、国内外の情勢や世論に合わせ、国家戦略をコロコロ変えていく過程がよくかわる。180度の転換というのはあるが、吉田は時に「360度の転換」を平然とやってのけた。
小欄は、吉田答弁の変節過程で、サヨクは憲法墨守に向けた闘争戦術の在り方を学習したと思量する。すなわち、吉田が唱えた経済偏重と「平和の先頭に立たんとする日本国憲法」に吸い寄せられていく、屈折し始めた戦後の「日本市民」に利用価値を見いだしたのだ。憲法9条の方向性は吉田とサヨクの合作で「左折」していくのである。
《吉田は経済復興と早期独立を最優先にし、平和憲法を強調することで、『侵略国』『軍国主義国』『好戦国』との誤った国際イメージを払拭しようとした》
《国力やイメージが回復した後の憲法改正を目指した》
…との研究結果も存在する。
しかし、完全独立を勝ち取ったサンフランシスコ講和条約の絶好機に憲法改正をのがし、GHQにいた憲法の門外漢が10日で即製した素性怪しきケンポーはいまだに手付かず。韓国国会議員の竹島上陸もSEALDsのお気楽発言も、「吉田ドクトリンの成れの果て」と表現したら、言葉が過ぎるだろうか。