
潮田淑子さん(岡部伸撮影)【拡大】
そのパーシバル氏は約20年後の42年2月、連合軍の司令官として「難攻不落」といわれたシンガポール要塞に立て籠もり、捕虜13万人を出して日本軍に「大英帝国史上最悪の敗北」を喫した人物でもある。「イエスかノーか」と迫る「マレーの虎」山下奉文中将に降伏する写真は世界中の注目を浴びた。
アイルランドを徹底して弾圧し、苦しめた英国の降伏-。潮田さんは「マリンズ氏はダブリン中の米を買い集め、ダブリン駐在の別府節弥領事と市橋和雄副領事を囲み、日本食で盛大にお祝いをしたそうです」と語った。アイルランド人は一貫して、英国の敵を応援したため、「『敵の敵は味方』で日本びいきだったのです」とも語った。
「大戦下の籠城者」
一方、別府氏はこれに先立つ39年、35歳で英国のリバプール領事になっていた。翌40年には、イースター蜂起が導火線となって連合王国から分離したアイルランド自由国(37年からはエール)の首都ダブリンに民家を借り、領事館を設立した。大戦中、苦境に直面した別府氏について、司馬遼太郎氏は「街道をゆく 愛蘭土(アイルランド)紀行II」で「大戦下の籠城者」と表現した。