【飛び立つミャンマー】高橋昭雄東大教授の農村見聞録(48) (2/2ページ)

得度式の式場を設営する人々。村人総出と言うが、集まったのは、世帯数にして総数の3分の1程度。「二者関係」で他村から来た人も多かった=2017年3月、ヤンゴン管区域フレグー郡(筆者撮影)
得度式の式場を設営する人々。村人総出と言うが、集まったのは、世帯数にして総数の3分の1程度。「二者関係」で他村から来た人も多かった=2017年3月、ヤンゴン管区域フレグー郡(筆者撮影)【拡大】

 このように一見して共同的に見える経済行為でも、ミャンマーの場合は、集団や組織を前提とする「共同体」的関係ではなく、一人対一人の二者関係である。

 ミャンマーでは家族さえ二者関係の中で認識される。世帯内において親は子供を「息子よ」「娘よ」と呼び、日本のように「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と最年少の子供から見た家族内の地位を示すような呼び方を親がすることはない。世帯という小集団の中でさえ、個人(ego)は世帯内での地位を意識することなく、自分を中心に他者を息子、娘、父、母、弟、妹、兄、姉と呼ぶ。そしてこうした世帯内の呼称は、egoを中心に世帯外にも放射状に広がり、おじ、おば、いとこなどの親族に限らず、非親族にも拡大する。

 ことの始まりは、子供が結婚して独立世帯を持っても、親の敷地内に家屋を建てて居住する「屋敷地共住」の慣習にある。この屋敷地は両親とも死亡すると、分割相続されて、屋敷地共住集団は近接居住世帯群に移行する。譲渡や売買でここに非親族世帯の敷地が割り込んでくることもあるし、村内での婚姻や転居で親族の飛び地ができることもある。

 親族は、egoの親と配偶者の親との関係を表すカミーカメッやきょうだいの配偶者同士の関係を表すマヤー・ニーアコー、リン・ニーアマといった日本にはないような用語を含んで拡大し、それでも親族関係を表せないとなると、「場の親族(ヤッスェ・ヤッミョー)」といった言葉が適用されたりする。こうした親族・疑似親族の累積的二者関係の中から、個人(ego)が選択的に強弱あるいは濃淡のある種々の二者関係ネットワークを形成する。

 ◆統制力弱く緩い集団

 こうした親しい人たちのネットワークにいろいろな「触媒」が働くことによって、組織や集団ができる。葬式や結婚があれば慶弔組合、パゴダがあれば仏塔管理委員会、騒乱や牛泥棒が頻発すれば治安維持会、消防車の寄付があれば消防委員会、揚水ポンプの寄付があれば飲料水利用組合、国家の指導があれば女性会や母子会や協同組合、非政府組織(NGO)の資金提供があれば小規模金融組織、といった具合である。

 だが村落「共同体」という規制がある日本の集団ほど強固ではなく、対人関係、特にリーダーとの関係がこじれたり、「触媒」の魅力がなくなったりすると、個人はあっさりと集団を抜け、脱退者の数が増えれば集団や組織そのものが有名無実化し、消滅への道をたどる。

 「村の精神」や耕地の共同管理による村人の拘束、非自発的な加入と脱退、外部に対する閉鎖性、出る杭(くい)は打たれるといった個性の抑圧などの「共同体」的性格が、ミャンマーの村落には希薄である。同じ地域社会でも、個人の意思で形成され、成員の個性を発展させることができ、開放的な中間組織である「コミュニティ」的性格が濃厚である。

 しかしそのような緩い集団では、年貢の共同責任制、水利組合、機械や設備の共同利用組織といった個人を制約する生産のための組織はできにくい。ミャンマーの村の集団はすべて消費あるいは生活のための集団である。統制力が弱く、個人の束縛感は少ない。

 すなわち、日本の村が「生産の共同体」であるのに対し、ミャンマーの村は「生活のコミュニティ」であるといえよう。(随時掲載)

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