カンボジア首相、年頭あいさつで警戒心 総選挙の年、波乱の予感

  • 39年前に崩壊したポル・ポト派政権下で処刑場となったキリングフィールドの慰霊塔。170万人ともいわれる国民が犠牲になった=プノンペン郊外チュンエック(木村文撮影)

 7月に総選挙を控えたカンボジアの2018年は、波乱を予感させる幕開けをした。同国のフン・セン首相は7日、39年前にポル・ポト派政権が崩壊した「虐殺政権からの解放日」の記念式典であいさつに立ち、「『色の革命』を企てる組織は破壊したが、彼らの背後では、悪意に満ちた裏切りの計画がまだ続いている」と語った。

 フン・セン首相がいう「色の革命」を企てる組織とは、17年11月に解党された最大野党・カンボジア救国党のことを指す。その背後にいるとされるのは、救国党を支援した米国だ。「色の革命」とは、00年ごろから中央アジアや東欧の旧共産圏で起きた政権交代の動きのことで、選挙などをきっかけに起きた民衆の抗議運動が政変につながったという共通点がある。

 ◆米国を敵視

 7日はカンボジアの祝日で、毎年、最大与党・カンボジア人民党が主催する大きな式典が開かれる。いつもはポル・ポト派からの祖国の解放を祝い、この国に平和と繁栄をもたらした自らの手腕をアピールする首相だが、広い会場に集まった人民党支持者に向けたメッセージは「野党とその背後にある米国の動きに注意をしないと、またあの苦しい紛争の時代に陥る」という脅しともいえる内容だった。

 カンボジアでは昨年、野党や米系市民団体への抑圧が相次いだ。9月3日未明、当時の最大野党「カンボジア救国党」のケム・ソカー党首が突然逮捕された。米国と共謀して国家反逆を企てた疑いとされ、現在も首都プノンペンから離れたトボンクモン州で身柄を拘束されている。この逮捕を発端とし、野党は11月に解党された。

 同じころ、米国人ジャーナリストのバーナード・クリッシャー氏が1993年に創刊した英字紙「カンボジア・デーリー」は、税務当局より6億円を超える税金を支払うよう命じられた。双方の主張は食い違ったが交渉の余地がなく、同紙は9月に廃刊した。また、米国系非政府組織(NGO)やラジオ放送も相次いで撤退や閉鎖に追い込まれた。

 この動きの背景には、与党の支持が国内で揺らいでいることがある。カンボジアでは2013年、国民議会選挙(定数123)が実施され、フン・セン首相率いる与党・人民党が、救国党に予想外の猛追を受けた。与党は90議席から大幅減の68議席、野党は29議席から大躍進の55議席を獲得した。その4年後、17年6月に実施された地方選挙(比例代表制)でも、両党の得票率が与党53.7%、野党46.3%と拮抗(きっこう)した。しかもこの選挙の投票率は9割に及んだ。

 ◆野党勢力国外で動き

 カンボジアは毎年7%前後の高い経済成長率を維持し、国民の暮らしも底上げされている。にもかかわらず、復興期から政権を握ってきた与党の支持は揺らぎ、野党勢力が拡大した。このままでは、18年の総選挙でもまた同じ現象が起きるのではないか。そう予測する声もささやかれている。

 最大野党の解党で、今年の総選挙は与党の圧勝が確実視される。しかし、フン・セン首相の年頭のあいさつが示すように、与党側はいまも反与党勢力の浸透に強い警戒心を抱えている。

 現地紙の報道によると、政府は昨年12月付で、政府内に主に国際NGOの活動を監視する委員会を設けた。内務省や外務省の関係者から成る委員会で、カンボジアのNGO法に定められた、政府との覚書や必要な登録手続き、税金の支払いや財務状況などを確認することが目的とされる。具体的な会合や活動はまだ始まっていないようだが、米国系を中心として国際NGOの活動はさまざまな側面で、これまでなかった制限を受けそうだ。

 一方、旧救国党の創設者で元党首のサム・レンシー氏は14日、滞在先の米国からインターネット交流サイトのフェイスブックに動画を投稿し、「新たな救国運動を開始する」と発表した。レンシー氏はカンボジア国内で訴追されており、身柄拘束を避けるため国外に逃れている。この運動はカンボジア国内で続く野党勢力への抑圧に対抗するために野党勢力の結集と支持を呼びかけるものとみられる。しかし、「国内で逮捕されたままのケム・ソカー氏の安全を脅かす危険な行動」との批判もあり、野党勢力の分裂も引き起こしかねない情勢だ。(カンボジア月刊邦字誌「プノン」編集長 木村文)