■家計を貧しくする「帳簿係」に成り下がる
森友学園関連の決裁文書の改竄(かいざん)、森友への国有地売却での虚偽の口裏合わせ工作に続く、福田淳一財務事務次官の「セクハラ」疑惑。福田次官は女性記者相手ではないと抗弁しているが、「真相解明」と騒ぐのがばかばかしいと思えるほど次元が低い。官僚の中の官僚、財務官僚が地に落ち、えげつない正体がばれた。
1998年に発覚した大蔵省(現財務省)接待汚職事件を想起する向きもある。90年代にバブルが大きな音を立てて崩れるさなか、同省某幹部は尋ねてきた知人に対し、やおら引き出しを開けて接待元の名刺をずらり並べて誇示する。接待された料亭でどんちゃん騒ぎした揚げ句、下の階の部屋での財界人を囲む宴席になだれ込むハチャメチャぶりだった。
もはや狂気の時代は過ぎたし、接待に浮かれる財務官僚は一人もいないだろう。だが、エリート官僚の思い上がりと傲慢さは相変わらずのようだ。なぜか。
エリート官僚には「無謬(むびゅう)」神話がある。「THE BEST & BRIGHTEST(最良で最も賢い)」者は間違いをしでかすはずはないとの思い込みのことである。「THE BEST & BRIGHTEST」はケネディ・ジョンソン政権時代のマクマナラ国防長官ら最良・最賢グループが先導したベトナム戦争の失敗を題材にしたD・ハルバースタムの著書(1972年)の題名として広く知られた。米国ではエリートに対するメディアや世論の監視の目は万全とは言わないまでもそれなりに厳しい。残念ながらわが国メディアはエリートが担う政策に目を向けずに、その倫理違反や不祥事のみを俎上(そじょう)に載せる。
財務官僚は自己にとって都合の悪い事項は削り、嘘のつじつま合わせに励む。それに対し、朝日新聞などメディアや議員の多くは安倍晋三首相に忖度(そんたく)して嘘をついた、として責めるのだが、嘘つき体質のエリートが作り上げる政策については極めて従順で肯定的だ。
政策が欺瞞(ぎまん)に満ちているなら、そっちのことこそ国家・国民の命運に関わる重大さにもかかわらずである。メディアが官僚不祥事探しに狂奔したところで、トカゲのシッポ切りで終わる。独善的で自己利益を追求するエリート官僚主導で政策が決められる構造はびくともしないのだ。
国民を欺き、間違った政策を正当化する。論より証拠。財務省ネットのホームページを見ればよい。
国の財政を家計に例え、1家計のローン残高5397万円に相当すると、堂々と論じている。経済学の常識と企業財務の知識があれば、直ちにこれがフェイクであると見抜かれるはずなのに、各紙とも財務官僚のブリーフィングを真に受けて、「国民1人当たり約858万円の借金を抱えている計算になる」と財政赤字を報じてきた。
国民は金融機関経由で政府債務の国債という資産を持ち、運用している。それを国民の借金だと言い張るのは、詐欺師だ。日本以外の世界にそんな国民をバカにしたエリート官僚がいるのだろうか。
もっと恐ろしいのは、財務本来の考え方が欠如している点だ。財務とは負債の部と資産の部を基本にしている、経済は貸し手と借り手で成り立つ。借り手がいないと国は成長できない。国民は豊かになれない。デフレ日本は家計に加えて企業もカネをためて借りない。
となると家計が豊かになるためには、政府に貸すしかない。政府が借金を減らすなら、貸し手の家計は為替リスクのある海外に貸すしかなくなり、円高で損する。増税で家計から所得を奪うなら、やはり家計は貧しくなる。
企業では、財務とは家計簿のような帳尻合わせの実務を指すわけではない。アニマル・スピリッツ(野心的な意欲)にあふれる経営者であろうとなかろうと、企業財務は負債の追加によって投資を行い、負債の金利コストを上回る利益を稼ぎ、資産を積み上げるための司令塔である。国家経済の中枢を担うはずの財務官僚が帳簿係に成り下がったがゆえに、優秀なはずの頭脳が弛緩(しかん)してしまったが、プライドだけは相変わらず、というのが一連の不祥事の深層ではないか。(産経新聞特別記者 田村秀男)