作家、堺屋太一氏(野村成次撮影)【拡大】
「平成」がはじまった直後、私は「平成三十年」と題する予測小説を書いた。その第1章の表題は「何もしなかった日本」である。
平成のはじめに、「これからの何十年か、日本は大した改革も大きな新事業もしないだろう」と予測したのである。
≪「低欲社会」で起業家がいない≫
それでも、この小説に登場する官僚たちは、財政の健全化を目指して消費税率を20%にまで引き上げようとする。「消費税率20%」は、ヨーロッパ諸国では既に実現している水準である。
ところが現実の日本は、消費税を5%から8%に引き上げただけで、そのあとはなにもしていない。年々多額の財政赤字を垂れ流しながら、物価はほとんど上がらず、円の為替レートもしっかりとしている。
そんな魔法のようなことが、どうして生じたのか。そしてそれが「日本と日本人」にとって、有り難いことなのか、その逆なのか、真剣に考えてみよう。
日本政府が年々巨額の財政赤字を出しながら、物価上昇も起こらず為替の下落も生じない背景には、日本社会を覆う「低欲社会」化の現象がある。
低金利の金あまり社会を提示しても、消費に動く人も少ないし、起業に走る者も少ない。この国の人々の願いは、大企業の正社員になって安定した収入を定年まで得るか、せいぜい息子に医師免許を取らせて勤務医として働き続けるようにするかが希望だ。
事業を起こして財を成し、他人を使う身になろうと、希望する者はごく少ない。
それは恐らく、この国では起業者や多額納税者に対する尊敬が、きわめて限られているためでもあろう。
資本主義の社会では、業を興して財を成した人々を尊敬もし、崇拝もする。だからこそ、あえて困難と危険を冒しても起業する者が出る。そして、そんな起業家のおかげで世の中が進歩し、豊かになる。
ところが現在の日本では、起業成功者を尊敬しないし、優遇もしない。これでは危険を冒して起業に走る者が少なくなるのも当然だ。