「平和の証し」夢見て
アフガニスタンの首都カブールに「世界で一番危険なゴルフ場」とも言われる「カブールゴルフクラブ」がある。同国は反政府武装勢力タリバンの攻撃などで治安が極端に悪く、ゴルフ場も頑丈な門と有刺鉄線で囲まれている。管理人モハマド・アブドラさんは「平和の証しとして、いつか国際大会を開くのが夢だ」と話し、毎日の整備に汗を流す。
世間の批判で閉鎖も
ゴルフ場は1967年設立。アフガン人にとってゴルフはなじみが薄く、客は主に国連職員や外交官ら週に数十人だ。1人1ラウンド30ドル(約3300円)。アブドラさんは12歳から雑用係として働き、仕事の合間にゴルフを覚え、20代前半でレッスンプロ兼管理人になった。
午前6時にゴルフ場へ来て、井戸水をホースでまく。コース整備も手作業だ。一つ一つ石を拾い、芝を鎌で刈る。帰宅は午後7時ごろになる。
コースは通常の半分の9ホールで、フェアウエーとラフの境目はない。電線が横切る場所も。かつては油と砂を混ぜて平らにした独自の「ブラウン」がグリーンの代わりだった。約5年前、米男子ゴルフのスター、タイガー・ウッズ選手らの支援を受け、でこぼこながらも芝を敷いた。
79年の旧ソ連のアフガン侵攻後や、ゴルフを「堕落した欧米文化」と批判した90年代のタリバン政権時代、ゴルフ場は閉鎖を余儀なくされた。外交官と交友があったアブドラさんは、スパイ容疑で2度投獄された。
再開後に治安悪化
2001年のタリバン政権崩壊後、ゴルフ場はコースにあった地雷や戦車などを撤去し、04年に再開にこぎ着けた。「みんなが集まるのはもうすぐだ」。膨らんだアブドラさんの期待は、治安の悪化とともにしぼんだ。
米軍など駐留外国部隊の撤退を求めるタリバンはテロを繰り返し、12年6月にはゴルフ場近くのホテルを襲撃。20人以上が死亡した。同年11月にはアブドラさんの弟がタリバンに殺された。
今年9月28日に実施された大統領選も、治安改善の糸口になるかどうかは見通せない。ゴルフ場で腕を磨いたアブドラさんの門下生は南アジアの大会などに出場しているが、ゴルフだけで生計を賄える状況にない。
それでも「怖いという感覚はとうの昔に失った。どんなに苦しくても諦めることはない」とアブドラさん。「平和が訪れた時にこそ、アフガン人と外国人が一緒にプレーできるゴルフが必要だ」と力を込めた。(カブール 共同)