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「戦争より怖かった」 新型肺炎と比較されるSARS、日本人はどう闘ったか

 新型コロナウイルスの影響が止まらない。日本でも死者が出て、経済も打撃を受けるなど、もはや完全に日本の国内問題となっている。報道などで見られるのはSARS(重症急性呼吸器症候群)との比較である。(ノンフィクション作家・青樹明子)

 SARSは感染被害が最も大きかったのが首都・北京だったということで、中国在留邦人や中国へ進出している日本企業への影響は甚大だった。それはまさに「戦争」のようだったという。

 「戦争は弾の飛ぶ場所に行かなければ怖くない。でもウイルスはどこから来るか分からないから戦争より怖かった」(日本企業駐在員)

 ビジネスへの影響も大きい。「天安門事件の時の比ではなかった。このインパクトは想像外だった」

 急激な経済発展を見せ始めていた中国を襲った原因不明の感染症は、在留邦人たちを混乱の極みに陥れていた。特にSARS問題の象徴とされた北京の動揺は筆舌に尽くしがたい。しかしそうした中でも、企業と民間人、各企業では日本人スタッフと中国人スタッフが一致団結してSARSと闘ったのである。

 北京では商工会議所、日本人会が中心となって「SARS対策チーム」を発足させ、民間発の情報を発信していった。

 普段は出すことがない飛行機の予約情報を提供した航空会社、日本料理店の開店情報を出した日本人調理師会、生徒の帰国情報を送った日本人学校、外出制限の中での留学生情報など、噂ではなく、確実な情報がメールマガジンに寄せられたという。

 今回の新型肺炎も、既にいろいろと風評を生み始めている。中国からの帰国者に接触すると感染する、中国人が多く集まる銀座や浅草に行くのは危険だなどの、非科学的ともいえる情報も含めて、人々を恐怖に陥れている。

 当時SARS対策チームの中核だった経済人は「たとえ感染したとしても、段取りさえ分かっていればパニックにならずにすむ」と語っていた。

 「北京市内に協和西病院というちゃんとした病院が用意されていて、そこで治療を受ければまず生きて出てくることができる。感染しても治らないわけではないということが分かっていれば怖くなかった」「大切なのは、いかにして日本でウイルスを発生させないかではなく、発生しても大丈夫、という体制を作ることである」

 SARS問題で最も大きかったのは、帰国した日本人をいかに守るかだった。特に子供たちだ。「ばい菌!」「うつる!」などといじめを受けたことは、日本人帰国者に心の傷を与えた。

 非常時というのは、普段現れないものが出やすくなってくる。そんな時だからこそやはり見たい。中国人と日本人の底力というものを。

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