新型コロナウイルスは新たに感染域を広げるなど世界各地で深刻な事態を招いているが、感染が一段落した国や地域であっても取り残された人々がいまなお苦しい生活を余儀なくされている。その多くは職を失って満足した食事にありつけず、貧困街やスラム街で暮らす貧しい人たちだ。高齢や病気で動けない人も少なくない。こうした中、タイにある日系の飲食店が出血覚悟でこうした人々の支援に乗り出し、現地の保健当局から称賛を浴びている。表彰も検討されているというその取り組みを取材した。
全土で300万人以上
6月13日午後、札幌に本拠を置く居酒屋チェーン「元祖串かつ・恵美須商店」タイ法人のマネジング・ディレクター、石田兼一さん(42)は、タイ人スタッフらとともにバンコク郊外の集会場にいた。タイ保健省が事前に声をかけた貧困世帯200人以上が列を作り、支援のコメ、菓子、飲料などを次々と受け取っている。そのほとんどは、新型コロナ感染拡大によって失業した人やその子供たち。スタッフらは大粒の汗を流しながら、最後まで笑顔で応対を続けた。
家族や友人、知人が助け合って今も暮らすタイの社会。これまでは仕事を失ったとしても、同居する誰かが代わりの働き口を見つけ、生活を維持してきた。ところが非常事態宣言の発令を招いた今回のコロナ禍では、貧困層の多くが一斉に仕事を奪われた。多くは屋台を引いて安価な食料を売り歩くか、衛生状態の悪い環境で密になってする仕事ばかり。感染源になるとして、真っ先に閉鎖となったのが彼らの仕事場だった。
その結果、タイ全土で失業者はあふれかえり、保健当局の試算によれば300万人以上にも。1000万人に達するというデータもあるが、実態はまだよく分かっていない。経済は停滞したままで、このまま仕事にありつけなければ2次、3次の影響も十分に起こりうる。彼らの生活保障が喫緊の課題だ。
石田さんらの支援活動は、市中感染がようやくピークを越えた4月28日から始まった。日本の本社に掛け合って調達した予算や、スタッフらが持ち寄ったポケットマネー、さらには趣旨に賛同してくれた駐在日本人からの寄付を集め、それを物資と換えた。
配布先については、タイ保健省の福祉担当者に相談して選定。毎週月曜日に保健省を訪ね、週間予定を立てて物資の配布を続けている。用意するのは1日当たり最大200~300人分。これまでの配布件数は累計4000件を優に超える。
個別訪問で聞き取り
石田さんやスタッフは、個別訪問での手渡しにもこだわっている。困っていることはないか。真に必要なものは何か。1日当たりの訪問件数は60件ほどと少なくなるが、表情や暮らしからダイレクトに困窮事情が伝わる。
親子が住むには狭すぎるバラックや寝たきりの老人たち。手を差し伸べるうちに涙が出ることも。街では感染が収まり自分の店の再開準備も始まったが、2足のわらじは当分の間、脱ぐつもりはない。
こうした姿勢に保健省の担当者も感動を隠さない。「支援をしてくれる外国人も多くいるが、普通は1回や2回限りといった限定的なもの。福祉予算も少ないだけに、こうして継続してくれることは本当にありがたい」。表彰したり感謝状を手渡したりすることができないか、検討も始めたという。
物資支援の取り組みは、かねてからの石田さんや日本の本社の意向だった。2011年の東日本大震災。未曽有の危機に真っ先に手を差し伸べてくれたのもタイの人々だった。「いつか、お礼を」を思っていたところに、今回のコロナ禍があった。
支援を続ける中で、石田さんもスタッフもいつも忘れられない一瞬がある。物資を配り終えた直後のほっと息つく瞬間だ。「はい、お疲れさま」と言って住民たちが渡してくれるのは冷やした水。ゴクリとのどを潤したとき、次もまた続けようという活力がみなぎってくる。(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)