海外情勢

比空港から英雄名外す動き 大統領長男ら法案 アキノ家と確執か

 フィリピン民主化運動の英雄の名を冠したニノイ・アキノ国際空港(通称マニラ空港)から、個人名を外そうとする動きが出ている。ニノイは独裁政権に抵抗し、1983年に同空港で暗殺された元上院議員の愛称。背景にはドゥテルテ大統領を含む政治家一族の確執があるとささやかれている。

 ドゥテルテ氏の長男、パオロ下院議員ら3人が6月下旬、タガログ語で「フィリピン国際空港」を意味する名称への変更法案を議会に提出した。「新名称はこの国を明確に指し示し、地元の言語を使うことでフィリピン人に誇りをもたらす」と主張している。

 ニノイの本名はベニグノ・アキノ。長期独裁政権を敷いた元大統領マルコスの政敵で83年8月、亡命先から帰国したマニラ空港で射殺された。妻のコラソン・アキノ氏が遺志を継ぎ、86年2月の「ピープルパワー革命」でマルコス政権を崩壊に追い込み、大統領に就任。87年、旧称のマニラ空港を現在の名称に変えた。

 父親と同名の長男、ベニグノ・アキノ氏も2010~16年に大統領を務めたが、ドゥテルテ氏は16年の大統領選でアキノ氏の後継候補を破って当選。従来の対中強硬姿勢から親中にかじを切るなど、アキノ前政権の路線とは距離を置いている。一方でドゥテルテ氏は、アキノ家と対立するマルコス家と親しい。互いの選挙戦を支援し合うほか、マルコス家の求めに応じ、博物館で公開されていたマルコスの遺体を大統領経験者らが眠る国立英雄墓地に埋葬した。

 地元紙の記者は「唐突な提案だ。22年の大統領選を見据え、アキノ派の存在感を薄めようとの意図ではないか」といぶかしんだ。(マニラ 共同)

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【用語解説】ベニグノ・アキノ

 フィリピンの野党指導者。1980年、当時の大統領マルコスから事実上、国外追放された。3年の米国滞在後、家族や支援者の反対を押し切り帰国し、航空機から降りた直後に殺害された。国民的人気があり、500ペソ札には妻、コラソン・アキノ元大統領とともに肖像が描かれている。暗殺された8月21日はフィリピンの祝日。(マニラ 共同)

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