専欄

99歳で死去した女性と夫の話 実現しなかった“名誉回復”

 元滋賀県立大学教授・荒井利明

 先月下旬の中国共産党機関紙「人民日報」の4面に、「李力群」という名の女性が4月に99歳で亡くなったとの小さな死亡記事が掲載された。なぜ死去から4カ月後の報道になったかは分からないが、その約400字の記事が伝えた略歴には彼女が「高崗」の妻であったことは記されていなかった。

 高崗は陝西省出身の革命家で、毛沢東に重用され、建国後の1952年には経済運営の責任者である国家計画委員会主席に抜擢(ばってき)された。だが、54年に「党と国家の最高権力を奪取する陰謀活動を行った」として失脚し、間もなく自殺した。

 この高崗事件の背景には、階級闘争を重視する毛沢東と、経済発展を重視する劉少奇、周恩来らの対立があった。高崗は毛沢東と考えが一致しており、毛沢東の意を受けて反劉少奇で動いたが、トウ小平、陳雲らも高崗を批判した。毛沢東は自らの地位を守るため、高崗を切り捨てたのである。

 「陰謀家」「野心家」とされた高崗の誤算は、「権謀術策の人」である毛沢東を後ろ盾として信頼しすぎたことだった。高崗は劉少奇や周恩来に不満を抱く毛沢東に利用された、権力闘争の犠牲者だったといえよう。

 李力群は劉少奇失脚後の75年、毛沢東の配慮によって全国人民代表大会代表に選出されている。これは毛沢東の高崗に対する「償い」の気持ちを示すものだったのだろうか。

 習近平の父、習仲勲も陝西省の出身で、高崗の部下であり戦友でもあった。高崗事件での連座はからくも免れたが、高崗の名誉回復を図ったとして62年に失脚した。幸い、文化大革命(文革)後、名誉回復され、広東省のトップや党中央書記として、改革開放に尽力した。

 だが、高崗の名誉回復は実現していない。李力群は文革後、党中央指導者に書簡を送り、高崗事件の見直しを求め続けた。毛沢東時代の見直しを積極的に進めた胡耀邦は高崗の名誉回復に取り組んだが、トウ小平の強い反対にあったという。トウ小平は高崗事件で重要な役割を演じており、高崗の名誉回復はトウ小平の誤りにつながるからである。

 トウ小平死後の今世紀初め、江沢民指導部は事件を見直し、高崗の建国における功績を認めたものの、除名処分とした当時の党決議は有効であると結論付けた。

 李力群にとって、夫の名誉回復が実現しなかったことは大きな心残りだったろう。(敬称略)

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus