完成度の高い人材ばかりを採用しない
従来の野球の常識からすれば、巨人のスタイルが王道なのだ。なのになぜ、「ありえなかった」プレーが勝ったのだろうか。
勝因の一つには、選手層の厚さがある。フルスイングの打者と剛球投手の調子の波を調えるため、個人の修正に頼るのではなく、選手の調子をしっかりとチェックして、調子が落ちれば、調子を上げている控え選手と交代する。その結果、常に「その時に一番調子の良い選手」が試合に出て、活躍する。従来の「控えは、主力選手が怪我をした時のスペア」という発想がない。
ソフトバンクが、日本のプロ野球球団の中で、最も資金力があるために可能だという面もあろう。
だが、本当の理由は、別にある気がする。
それは、選手を獲得するときの方針だ。日本の野球は、“国技”と言われるほどレベルが高い。本場、米国大リーグと対戦しても良い勝負なのは、少年野球から高校野球、大学、社会人と運動能力の高い大勢の若者が切磋琢磨し、ハイレベルの選手が誕生する土壌がある。
そこで、多くのプロ球団は、完成度の高い即戦力を欲しがちだ。
だが、ソフトバンクは、このところ、プロ野球の新人選手選択会議(ドラフト会議)で、高校生を優先して獲得している。それは、完成度より、伸びしろを見ているからではないか。
そして、球が速い(威力がある)とかスイングスピードが速いとか、俊足という、「一芸に秀でた」選手を獲得し、その才能を伸ばしながら、総合的なレベルアップを図っているように見える。
実際、日本シリーズで大活躍した選手の多くが、支配下外の育成出身者だった。まさに、一芸に秀でた金の卵である育成選手は、大成する可能性は低いと考えられている。だから、当初は1軍の試合にでる権利を与えない育成選手として獲得する。彼らには、ドラフト1位選手が手にする1億円の契約金や1000万円超の年俸なんて出されない。一般企業の初任給より安い選手すらいる。だが、鍛えて、才能が伸びれば、完成度の高い選手を上回る活躍が可能である(そして、年俸も上がる)、という方程式を、ソフトバンクは明確に実現している。
この「完成度の高い人材ばかりを採用しない」という発想こそが、今の日本の企業や役所に欠けていると、かねがね私は考えていた。
最近の若い社会人を見ていると「そつのない、大人を騙(だま)すのが上手な」若者が増えた気がするからだ。彼らは、迎合性が高く、承認欲求も強い。だが、ギラギラとした野生的なパワーを感じないのだ。
私が触れる若い社会人は、皆判で押したように「明るく、そつがない」が、人間力を感じない人が増えた。また、現状肯定派がほとんどで、思い込みが強い独りよがりが多い。
彼らは、壁にぶつかると簡単に挫折し、それを乗り越えるより、職を変えるという安易な選択をする。