海外情勢

タイ第2波、無人の国境で地域経済どん底 マレーシアと往来途絶から半年以上

 2021年は東南アジアのタイにとって予期せぬ苦難の幕開けとなった。新型コロナウイルスの国内感染をほぼ封じ込めてきたものの、昨年12月下旬になって突如、隣国ミャンマーが感染源とみられるクラスターがバンコク西郊で発生。わずかな期間で感染が爆発的に広がり、商業施設の営業禁止など都市封鎖も再開された。陸上貿易に沸いた国境の街では人の姿が消え、さながらゴーストタウンに。地域経済はどん底にあえいでいる。

 広がるシャッター街

 タイ最南端、マレーシアと国境を接するソンクラー県サダオ郡ダンノック。この街から、名物となった通関待ちの長いトラックの車列がなくなって半年以上。街はひっそり閑とし、道行く人もあきらめ顔だ。メイン通りから伸びる路地という路地、隅々までシャッター街が広がっている。働き盛りの若者は街を出て、残されたのは老人と幼い子供ばかり。商店は客もいないのに店を開け、売り上げもないのに日暮れとともに店を閉じる暮らしが続いている。

 コロナ禍前までここには物販からサービスまでさまざまな商売が存在した。マレーシアから国境を越えて買い求めに来る客が最も多く、眠らない街として活況に沸いていた。タイの貧しい東北部や北部から出稼ぎに来る女性らも少なくなく、さまざまな方言が交錯していた。今、ここで見られるのは無人となって朽ち果てた商店街・歓楽街と、特別な許可で通行が許された食料品や生活物資を積載したわずかなトラックだけだ。

 街で唯一の日本食レストランを見つけた。ホテルを併設する「HOYA」。開業はコロナ前の約1年半前。オーナーのタイ人男性が空前の日本食ブームにあやかって出店した。バンコクで修業したシェフを雇い、マレーシア人や中国人の富裕層が競うように訪れた。1食に投じる食費は最低でも3000~4000バーツ(1万~1万4000円)以上。チップも500~1000バーツと大盤振る舞いだった。1本5000バーツもする著名な日本酒を注文する客もいた。ホテルも連日満室だった。

 ところが、新型コロナが蔓延(まんえん)し国境の通行が禁止されると、客足はぱったりと途絶えた。併設するホテルも予約が入らなくなり、営業をストップした。今では地元客を相手に日銭が入るレストランを細々と続けているだけ。従業員も解雇。すしも1貫10バーツに値下げし、少ない客をどうにか集めようと休日もなく営業を続けている。

 オーナーのタイ人男性は「この街の飲食店の大半が廃業した。日本食の人気でどうにか食いつないでいるが、今後も国境閉鎖が続くとなるとかなり厳しい」と困惑顔。感染の国内制御に成功し、年明けには国境通過も徐々に再開されるとの報も伝えられていただけに、第2波の始まりで肩を落とす。「後は仏に祈るしかない」と天を仰ぐ。

 貿易額3分の1以下

 タイ商務省貿易局によると、タイとマレーシア間の国境貿易額はミャンマーやカンボジアなど陸上で接する他の近隣3カ国と比べて最も多く、19年は年間約5140億バーツ。機械類や建築資材、食料品などさまざまな物資が国境を往来した。ところが20年は3分の1以下に激減する見通しで、国境のヒトとモノの通過が制限を受ける中、回復の目途は全く立っていないという。過去に例のない落ち込みだ。

 一方、国境の通行再開を模索してきた両国政府も、タイ国内での感染拡大で早々に先送りを決めたもようだ。昨年3月下旬から始まった第1波では、収束と都市封鎖の解除まで1カ月余りを要した。保健省の担当者は「感染の規模、質ともに第2波はこれまで以上に深刻だ」と話しており、この状況が数カ月に及ぶ可能性も指摘されている。

 今回の第2波は、バンコク西郊サムットサーコーン県のマハーチャイ漁港にある水産市場が感染源とされている。ここで働くミャンマー人労働者の間で集団感染が発生し、瞬く間にタイ全土に広がった。重労働の水産市場では近年、タイ人が就労を嫌う代わりに出稼ぎのミャンマー人が増え、劣悪な住環境が広がっていた。タイ政府は密入国者などが持ち込んだウイルスがミャンマー人コミュニティーで拡散されたと見ており、国境警備も強化する方針だ。(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)

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