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中国ではまもなく春節…「天の神」を怒らせないように

 まもなく春節(旧正月)がやってくる。今年も山東省・泰山には、「初日の出」を見ようと、多くの人々が登ってくるに違いない。見終わると、参道の両側に点在している道観(道教のお寺)を参拝して回る。泰山は、道教の聖地である5つの山(五岳)の一つとして、昔から人々の信仰を集めてきたのだ。こうした光景を眺めていると、中国では道教がいまも健在なのだと、改めて気付かされる。(拓殖大学名誉教授・藤村幸義)

 中国の政治社会制度には、孔子を始祖とする儒教の存在が大きいと思われがちだ。漢の時代に初めて国教に指定されて以来、国の統治の基本とされ、清末まで続いた。いまの共産党政権になってからも、影響が色濃く残っている。しかし中国を見る場合、儒教だけでなく、道教の存在も視野に入れておかないと、判断を間違えてしまう。

 だが、道教ほどえたいの知れないものはない。老子を始祖としながらも、多様な要素を取り込んで発展してきたからだろう。自然重視の考え方は分かるとしても、「気」とか「不老不死」、さらには「陰陽五行説」とか「占星術」まで入ってくると、訳が分からなくなってしまう。

 そんな道教への疑問を解いてくれたのが、最近出版された『道教思想10講』(神塚淑子著、岩波新書)である。「気」の生命観、宇宙論、救済思想、倫理・社会思想などの論点から、丁寧に解説してくれている。

 中でも興味深かったのは、政治社会との関わり方について、「地上の人間の行為を天の神がしっかりと見ていて、行いの善悪にしたがって、その応報として禍福がもたらされる」と述べているくだりである。

 道士(道教の修行者)は山の中に住んでいるが、何か事があれば、下山して人々を救おうと立ち上がる。後漢末に発生した黄巾の乱は、道教の源流である太平道の信者が起こした農民一揆だったし、その後に中国でたびたび起きた農民一揆も、多くは道教に関係していた。

 神塚氏によれば、道教のめざす理想社会は「人々が命を大切にし、文明の利器を使うこともなく、他国に往来することもなく、自然に任せた素朴な生活に満足し、静かに生涯を終えることができる社会」である。

 現代において、文明の利器を使わない社会などは到底考えられない。だが、いまの共産党政権も含めて歴代の指導者は、悪政をやり過ぎて「天の神」を怒らせないように、顔色をじっとうかがってきたのだろう。

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