東南アジアのミャンマーで国軍による軍事クーデターが発生し、アウン・サン・スー・チー国家顧問やウィン・ミン大統領ら政権与党・国民民主連盟(NLD)の幹部が一斉に拘束された。米国などの西側社会は直ちに声明を発し、被拘束者の即時釈放と軍政回帰への懸念を表明。最大都市ヤンゴンでは軍を非難する市民らの声が速報されるなどした。しかし、辺境の少数民族居住区域などでスー・チー氏拘束の報が歓喜を持って受け止められたことはあまり報じられていない。政府統計で135の民族が暮らす多民族国家ミャンマー。もう一つの「ミャンマー国民」は報道とは異なる見方で事態を受け止めている。
問題放置が悲劇に
隣国バングラデシュ東端のチッタゴン管区。ここにミャンマー西部ラカイン州から逃れてきたイスラム教少数民族ロヒンギャの難民キャンプがある。2017年8月、ミャンマー国軍に家族を殺され、家を焼き払われるなどした70万人を超える人々が命からがらたどり着き、保護を求めた。
バングラデシュ政府は当初は受け入れを拒んだものの、まもなくベンガル湾沖合にある小島を居住区として提供することなどを決定。しかし、電気も水道も乏しい劣悪な環境下。満足な医療や教育も受けられないまま、いまなお100万人もの人々がこの地域で不自由な生活を続けている。
彼らの反スー・チー感情は辛辣(しんらつ)だ。複数あるキャンプのうち最大のクトゥパロン難民キャンプでは、人々は口々に「ロヒンギャ問題の全ての責任は彼女にある。拘束されて当然だ」と怒りをぶつける。ミャンマー政府が彼らの国籍を認めず、放置した結果が悲劇を招いたと主張する。
ロヒンギャに対するジェノサイド(民族大量虐殺)の問題は国際司法裁判所で審理が続けられている。国際社会は国軍の行為を強く非難。ミャンマー政府に対策を講じるよう繰り返し求めてきた。しかし、スー・チー氏は19年末に開かれた国際法廷で、「(提訴は)不完全で誤解を与えるものだ」と国軍を擁護。これを機に失望は一気に広がった。
クーデターの直後、同じチッタゴン管区にあるバルカリ難民キャンプでは、かつて支持者だったという男性が地元メディアの取材に応じていた。男性は「最後の希望だったスー・チー氏に裏切られ、ロヒンギャの人権は失われた。(クーデターは)いい報いだ」と発言。歓喜する様子が報じられた。もはやロヒンギャ社会の中でNLD支持を見つけるのは難しい状況だ。
ビルマ族優遇で分断
スー・チー政権に対する非難と失望の声は、他の少数民族にも少なくない。北部カチン州出身で看護師のカチン族の女性(29)は「スー・チー氏を支持した15年総選挙の投票を後悔している」とNLDとの決別を宣言。昨年11月の総選挙では、6つあったカチン族政党が選挙前に統合してできたカチン州人民党(KSPP)に投票したと明かす。クーデターについては賛同できないとしながらも、「彼女の政界引退を喜ぶ人の気持ちは理解できる」と語った。
南東部タニンダーリ管区でタイ料理店を営むモン族の男性(38)も反NLDの立場を隠さなくなった一人だ。軍については「嫌いだ」としながらも、少数民族対策に消極的だったスー・チー政権には「すっかり幻滅した」と語気を強めて話す。そのうえで政府が進めたビルマ族優遇政策が、国民間の新たな分断を引き起こしたとも主張する。
昨年の総選挙で、NLDは改選476議席中8割を占める396議席を獲得して圧勝。前回15年総選挙時の議席数を大きく上回った。議席だけを見れば確かに支持が増えたように感じられるが、実はここに選挙制度上の“マジック”が潜むことはあまり伝えられていない。
軍人指定枠(全体の25%)を除くミャンマーの上下両院は小選挙区制を採用する。最大人口のビルマ族の有権者は全国で7割に達し、最大都市ヤンゴンや中部マンダレーなど多くの地域で絶対多数派を形成している。小選挙区制度は死票が多く、比較1位であれば議席を独占できる。ビルマ族出身のスー・チー氏率いるNLDが少数民族居住地域を除いて次々と当選を決めたのも、こうした背景があった。
全権を握った国軍は、1年以内の総選挙の再実施を国民に約束している。ただし、現行の選挙制度のままではNLDの勝利が避けられないことは確実で、抜本的な選挙制度の見直しが進められる見通しだ。少数民族との和平も急ぐものとみられる。(在バンコクジャーナリスト・小堀晋一)