真山仁の穿った眼

東京五輪を“損切り”せよ IOCが「違約金払え」と言い出したら戦えばいい (2/2ページ)

真山仁
真山仁

 中止することこそ「おもてなし五輪」

 昭和に入った頃から、日本は撤退が苦手だ。第二次世界大戦は、避けようとしながら引きずり込まれ、自分たちで終戦を決められず、沖縄で多くの民間人を犠牲にし、原爆を2発も落とされて、ボロボロになって終わった。それ以前の日露戦争では、戦争を長引かせず、本当は「引き分け」程度の戦況で、外交力で「勝ち」を手に入れている。

 バブル崩壊前夜も、何度も撤退や損切りのチャンスがあったのに、ズルズルと引っ張った挙げ句、国の莫大な資産を失い、経済をどん底に落としてしまった。

 好例が、住専(住宅専門金融会社)処理だ。経営怠慢を棚に上げて莫大な公的資金を投じ、破綻危機の金融機関を救ったことが、国会で大問題になった。それと同じ轍(てつ)を踏んだと問題視されるのを恐れて、その後の銀行・証券・生保の破綻危機に際して、政府は公的資金を投入するのを躊躇(ためら)い、傷を深く大きくした。

 そして、コロナ禍と五輪問題でも、同じことを繰り返している。

 なぜ、五輪を止められないのか。「一度やると言って準備したのに、撤退したら恥だ」と思っているのか。あるいは、「大損する」と怯(おび)えているのか。

 しかし、「おもてなし五輪」と銘打って開催権を奪取したことを思い出そう。「選手の命の保証ができない」五輪は逆に、おもてなしとしては最低だ。中止することこそが、「おもてなし五輪」なのだ。

 また、「大損する」かどうかは、われわれ次第でもある。この状態で、五輪を中止にしてIOC(国際オリンピック委員会)が違約金を払えと言い出したら、戦えばいいではないか。

 既に海外メディアは、IOCの言動に厳しい批判をぶつけているし、「違約金や賠償金などもってのほか」と繰り返している。国際世論をバックに戦う、それこそが先進国の証ではないのだろうか。

 世界各国は、日本が毅然(きぜん)とした姿勢を示さないことに呆れ返り、既に蔑(さげす)み始めている。

 世界中から軽蔑される国になることが、いかほどの損失になるのか。それは、1兆や2兆円などという生やさしい数字ではないはずだ。

 「東京五輪」なんて、とっとと損切りし、前に進む時だ。

昭和37年、大阪府生まれ。同志社大学法学部政治学科を卒業後、新聞記者とフリーライターを経て、企業買収の世界を描いた『ハゲタカ』で小説家デビュー。同シリーズのほか、日本を国家破綻から救うために壮大なミッションに取り組む政治家や官僚たちを描いた『オペレーションZ』、東日本大震災後に混乱する日本の政治を描いた『コラプティオ』や、最先端の再生医療につきまとう倫理問題を取り上げた『神域』、「震災三部作」の完結編となる『それでも、陽は昇る』など骨太の社会派小説を数多く発表している。初の本格的ノンフィクション『ロッキード』を上梓。最新作は、東南アジアの軍事政権下の国で「民主主義は、人を幸せにできるか」を問う長編小説『プリンス』。

【真山仁の穿った眼】はこれまで小説を通じて社会への提言を続けてきた真山仁さんが軽快な筆致でつづるコラムです。毎回さまざまな問題に斬り込み、今を生き抜くヒントを紹介します。アーカイブはこちら

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus